菅原健介「羞恥心はどこへ消えた?」光文社新書

公開日: : 最終更新日:2011/09/07 書評(書籍)

確か、どこぞの新聞か雑誌で紹介されていたから、読んでみたもの。タイトルがなかなか魅力がある 新書によくあるような、ごちゃごちゃしたものをまとめて一冊にしました、という感じが否めない。なんか、話が太くなったり細くなったり蛇行したり、読みにくい。まあ、面白いのですけど、何かが決定的に間違っているような気がする。多分、最後のシメの部分 そして、出てきた事例が、アダルトビデオとか、短大生の保育士実習とか、女子大生のデートだとか、高校生のルーズソックスだとか、そういうものばかりで、うーんうーん、なかなか素晴らしいものがある
p27.ひとつが”若さ志向”である。「若いときが一番楽しいときだ」「若いときにしかできないことがたくさんある」「いつまでも若いままでいたい」など、ジベタリアンたちは、自分の存在証明の重要な柱として「若さ」という属性を重視している。さらには、「大人になるとつまらないことが多くなる」「年をとるのはいやだ」といった自分が成人してしまうことへの嫌悪感も見受けられる
これって絶対、実際に年配の人の生き方を見ているからに決まっている。子は親の背を見て育つ。子どもは大人の行動をいつも見ている
p53.残念ながら、妬みは時代や文化を超えて人間が共有する感性であり、日常の人間関係から国の歴史に至るまでその影響を免れることはできない。それだけに、社会的に賞賛されることは、一方で、一部の人たちの妬みを買うリスクを背負い込むことにつながる。自分を褒め称える百人がいたとしても、その中の誰か一人は白い目であなたをみているかもしれない。「それほどでもありません」とか「褒めても何も出ませんよ」といった恥じらいの表現は、こうした人物の悪意を緩和する効果を持つのである p56.他者から褒められるということは、自分に対する期待が高まったことを意味している。その賞賛を素直に受け入れてしまえば、新しい義務が発生する。しかし、期待が高すぎる場合はかえって不都合なことになる。一時はもてはやされ、注目されるかもしれない。しかし、末路は目に見えている。また、褒め言葉にはお世辞の分が上乗せされていることが多い。それを真に受け、「任せておけ」という態度をとれば、相手から「思い上がりも甚だしい」と反感を持たれるかもしれない。その上で失敗すれば批判はなおさらだ。他者の賞賛とは、裏を返せば、個人に対する周囲からのプレッシャーだ。期待に応える自信がなければ、賞賛を受けることは十分に危機的な事態と言えるのである。羞恥システムはそんな時も、間髪を容れず警告を発してくれる。「それほどでも、ありません」「かいかぶり過ぎですよ」こうしたセリフは、何とか他者の期待を等身大に戻そうとする必死の試みである。恥じらいを示すことは、他者の過剰な期待を沈静化する効果を持つ。羞恥心は私たちの慢心や自己顕示欲を牽制し、慎みの心をもたらしてくれている p58.なぜ彼女たちの羞恥心は園児たちの呼びかけに対して反応したのだろうか。当時、短大で教育実習の指導をしていた知り合いからたまたまこの話を聞いたとき、ぜひともデータをとらせてくれとせがんで調査させてもらった。このような恥じらいが何に由来しているか調べてみたくなったのである p70.これに対するデュルの反論は次のようなものである。裸族の社会では厳格な「見るなの禁」が存在していて、特に男性が若い女性の性器に注目することはタブーになっている。これを侵すことは恥ずべき行為であり追放処分の対象になる。こうした規範が遵守されているからこそ、裸族たちは安心して裸でいられるという論理だ。そして、同様のことは公衆浴場においても認められるという p72.裸体とはそもそもの人間の姿であるが、人はこれに恥じらいを覚える。他の動物には一切認められない心性だ。ところが、時々、人間も人前で裸になる必要がある。その裸になれる雰囲気を担保してくれるのも、また羞恥心である。他人の裸を性的な視線で眺めることへの恥じらいだ。裸かそれに近い姿をした人物がいれば、私たちは無意識のうちに視線を避ける。「目のやり場に困る」というわけだ p77.その子どもたちが30年後の40歳になったとき、どのような人生を歩んでいるかが調べられた。すると、シャイな男性はシャイでない男性に比べて、就職した年齢、結婚した年齢、父親になった年齢がいずれも平均して3年から4年くらい遅いことが分った。また、失業や転職の回数が多めで職業的地位も低いという差異も示された。社会への消極的な態度が、積もり積もってこうした結果を作ってしまう。一方、女性に関してもシャイネスは興味深い影響を及ぼしていた。男性とは違い、結婚や母親になる年齢に差はないが、シャイな女性は結婚退職や職業に就かなかった人が多かった。いわゆる伝統的な女性役割を演じているのだ。さらに、面白いのは、シャイな女性と結婚した男性はそうでない男性に比べ、地位や収入が高い傾向が見られた。結婚時点での男性の地位や収入には差がないことから考えると、シャイな女性の”内助の功”が夫を出世させたのかもしれない
これ、おもしろい調査結果だ
p82.「ホームヘルプサービスを利用していることを、周りの人に知られたくない」という世間に対する評価懸念が強かった。さらに、いくつかの感情のうち、サービスの利用を最も躊躇させた感情は、「恥ずかしさ」であったという。おそらくは、「親の面倒は子どもがみるべき」といった世間の規範を多くの家族たちは意識していたのだろう。それゆえ、「他人に親の面倒を見させるなんて親不孝だ」という周囲の声を恐れ、介護サービスの利用に迷いを生じさせたものと考えられる p83.集団内の大半が「A」という意見を持っているにもかかわらず、誰もがそれを言い出さないので、結果的に「B」という意見が通ってしまう状態を、社会心理学では”衆愚の状態”と言う。事務所のクーラーが効き過ぎているのに、誰もがそれを指摘せず寒さを耐え忍んでいる様もこれに当たる。人間の集団はしばしばこのように衆愚化することがある p95.社会や集団から排除されると、獲得できる社会からの恩恵も減り、快適な生活を送れなくなる。時代や地域によってはそれがすぐ死に直結する。従って、自分の中に「集団の存続や福祉に貢献できないこと」や「協調性や道徳性の欠如」、あるいは、「対人魅力の欠如」につながる何らかの要素をみつけると、個人は強い不安にかられ自己を改善しようとする p97.フランスの古生物学者、イヴ・コンバス博士が描き出した「イーストサイド・ストーリー」と呼ばれる人類誕生のシナリオである。学会の中で異論は少なくないが、実に壮大でドラマティックな話である。このシナリオによれば楽園追放後、私たちは社会という新たな楽園を手に入れるわけであるが、これが妙に旧約聖書の失楽園のエピソードと重なり合う。神が禁止した知識の実を食べてしまったアダムとイヴは、自ら裸であるということに気づきイチジクの葉で陰部を覆う。この様子を見た神は彼らが言いつけに背いたことを悟り、楽園から追放する。かじりかけの木の実を持って恥らうアダムとイヴの姿は多くの宗教画のモチーフともなっているが、羞恥心は人間が他の動物たちとは異なる存在になり、独自の道を歩きはじめたことを象徴しているようだ。とにかく、神話の世界でも現実の世界でも、恥ずかしさは人間にとって切っても切れない感性である。恥じらいをきっかけに棲家を失った私たちだが、また、恥じらいによって社会を作ることができたとも言える。もしかすると、羞恥心とは、エデンの東の地で人類が生き延びていくため、神様が餞別として与えてくれた道具だったのかもしれない p103.ニホンザルが見知らぬ外国人だとすれば、類人猿は従兄弟か兄弟のようなもので、ごく最近まで同じ家で一緒に生活していた仲間である。自己意識を持つチンパンジーもオランウータンも類人猿であるが、自己意識を持たないゴリラやテナガザルもやはり類人猿なのである。いずれも尻尾はないが、なぜか自己の認識に関しては決定的な能力の差がある。これは自己意識が系統発生上、極めて新しく付け加わった能力であることを示唆している。それだけに複雑で高度な能力なのだ p104.一歳半という年齢は発達心理学的に見て重要な時期である。この頃を境に子どもは乳児から幼児と呼ばれるようになる。かつて、動物学者のポルトマンは人間の誕生を「生理的早産」という言葉で表現した。他の哺乳類で言えば明らかにまだ子宮の中にいるべきなのに、ヒトは無力な胎児のまま産まれてきてしまうという意味だ。それゆえ、胎外胎児という呼ばれ方もする。ヒトの場合、脳が急激に発達し、頭部が産道を通れなくなってしまうので、そうなる前に母体の外に出してしまう必要があったのだとの説明もなされている。新生児は一人で自由に移動することも、栄養を摂取することもできない。養育者がいなければ簡単に死んでしまう。それが、一歳半くらいになると、ようやく、本来、出産されるべき状態にまで成長する。離乳が済み、二足歩行もほぼ完了する。とりあえず、胎外胎児の時期を脱して生物として自立できるのだ。一歳半はまた言葉が出始める時期でもある。「ママ」とか「ブーブ」などの単語だが、確実にコミュニケーションの意思を持って発せられるメッセージである。いわば、社会へのデビューである。ヒトとしてのひとり立ちの時期に、私たちが自己に目覚めるのは理にかなっていると言える。自己を客観的にながめることで、自身を管理することを覚えるのである。それゆえ、自分のことが気にかかり、自分に対して様々な感情を抱くことになる。ルイスは羞恥心もそうした感情の中の一つであるという p108.アイブル‐アイベスフェルトは先天的に目の不自由な少年に関しても、まったく同様の表情パタンが認められたことを報告している。彼は生まれてから一度も他人が恥じらう様子を目撃したことはない。それにもかかわらず、「ガールフレンドはいるの?」というスタッフの質問に対して、目を伏せ、顔を隠して微笑んだのである。羞恥に伴う一連の表情変化は生得的にプログラムされており、すべての人類において共通していると考えられる P109.心理学者のアゼンドルフは、恥じらいと喜びの表情をいろいろ集めて分析した結果、微笑みが最高潮に達する時期と視線を伏せる時期との微妙なタイミングのズレが鍵であることを突き止めた。すなわち、微笑みがピークに達する一秒ほど前に視線が伏せられると恥じらいの表情として見えるが、ピークに達した直後に目が伏せられるとそれは喜びの表情と判断されるというのだ p131.転倒や人違いなど、人前での無様な失敗に対しては年齢が若い層ほど恥ずかしさを覚えるようであった。また、異性と会話することへの恥じらいも年齢とともに薄れていく。これらを見ると、やはり高齢になるほど、精神が図太くなりデリカシーが失われてゆくような感じを受けてしまう。しかし、性的な話題に対する羞恥感の動きは少し違っていた。恥ずかしさの得点は、思春期でやや高いものの、20代では低くなり、その後は年齢とともにどんどん増加してゆく。特に、男性ではこの特徴が顕著である。また、嘘をついたり、約束をやぶったりといった社会的信頼を損う行為についても、一貫して、年齢が高いほど恥ずかしさが増してゆくことが示されていた p155.伝統的な日本社会では、地縁や血縁の強さという軸の上に人間関係が形成された。そして、地域共同体という中間的な人々の目を気遣い、彼らの前での失態を強く恥じるという心理―社会的環境が成立していた。いわば、地域社会を逆U字曲線の頂点とする恥意識の構造である。さて、その地域社会であるが、何にせよ人口流動性が極端に低く、メンバーがほとんど変わらない集団である。当然、それぞれの地域に伝統的な習慣やルールが成立する。しかも、リーダーの役割は地域の事情をよく知り人脈も豊富な年長者だ。やがて、見所のある後輩にバトンが渡されるが、その日まで若いメンバーは規範に従い、オトナたちから与えられた役割を恙無くこなしてゆくことが求められる。かつての地域共同体は終身雇用制、年功序列制だったと考えられる。こうした制度の中で地域の規範や習慣は基本的に受け継がれ守られていった。従って、セケンの中での斬新な振る舞いは、社会の秩序を乱す行為として批判を浴びることになる。先に述べた村八分は、江戸時代より明治に入ってから増加したそうだ。それまで農民たちが領主等から課せられてきた義務が軽減され、個々人が自分の利益を主張するような雰囲気が出てきたことがきっかけだったという。こうした自己主張は伝統的な習慣から見ると、わがままな振る舞いに映ったに違いない
これってちょっと、偏見ではないかと思う。終身雇用、年功序列というのはせいぜい戦後くらいからのものではないのだろうか。反論はいくらでも出せるように思う。江戸時代でも若くして幕府で大きな地位を占めたケースはいくつかあったように思う。“中村彰彦「知恵伊豆に聞け」実業之日本社”の主人公も相当若くして幕府の運営に参画していたはず
p165.国や自治体が定めた最低限のルールは守るが、それも相手への配慮ではなく、あくまで自分への不利益を回避することが目的だ。自分を脅かす明確な問題が起きなければ、自分の感性や利益を優先する。こうした「ジブン本位」の基準は、少なくとも、若い世代にはかなり浸透しているように思われる p166.タニン同士の社会での行動基準は、まず「自分の利益」である。かつての地域社会のように、他者から自分が嫌われないか、疎まれないか、といった自己への人格評価はあまり重要でない。極端に言えば、無関係な他者は無視し、自分の利益につながる他者は利用する。そして、自己の利益を損ねる他者は排除するか、遠ざける
うーん、これって。人間が自己中心的なのはどこでもどの時代でも同じ。それをある場面で切り取ったときに、筆者の言う前の社会では恥じらいや他者への気遣いを重視することが最も効率的に自分の利益を実現する方法だったのだ。それがいまや、コンビニや介護保険に代表される便利さゆえに、より直接的になったのだということなのではないか
p170.以前、大学のゼミでルーズソックスについて話題になったことがあった。ある女子学生は高校時代、ずっとルーズソックスをはいていたが、夏場などは蒸れるし、臭いし、本当ははきたくなかったと発言した。しかし、友達がみんなはいていたのではかざるをえなかったという。「道ですれ違うおばさんなどは奇異な目で見ていたけれど、私としてはルーズソックスをはかないことの方が恥ずかしかったんです」
結局、この本の主題に対しては、この部分が端的に答えを出しているようだ 20060405010500
羞恥心はどこへ消えた?
posted with 簡単リンクくん at 2006. 4. 5
菅原 健介著 光文社 (2005.11) 通常24時間以内に発送します。
 

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