江藤淳「閉された言語空間」文春文庫

公開日: : 最終更新日:2011/10/03 書評(書籍)



ずっと、名前が残る作家と、同世代の支持のみで終わる作家がいる。江藤淳という作家は後者で終わるのかもしれないと、私的な経験を元に思ったりする

太平洋戦争後のアメリカを主軸とする連合軍の占領の際に、日本でどのように検閲が行われてきたのかを示す一冊。「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」についての説明が終盤のポイントになる

末尾に皇族の動静にまつわる言葉狩りの例を示す。これが、いまでも通用しているところに感慨



p89.検閲係の圧倒的多数が女性だった。女性には検閲係として男性よりすぐれた適性がある、という「伝統的」評価に加えて、現実に極度の細心さを要する反復作業に女性が威力を示したためだと、『検閲局報告書』は指摘している

3,700人の日系二世に語学テストを行ってみると、ウェッカリング中佐やラスムッセン大尉を愕然とさせるような事実が明らかになった。日本語熟達者と考えられる者は僅かにそのうちの3パーセントに過ぎず、4パーセントが水準以上、他の3パーセントが長期訓練ののちはじめて採用可能、残りの90パーセントは全く使いものにならないという、意外な数字が出てきたからである。つまり日系二世は、通念に反して想像以上にアメリカ社会に同化しきっていたのである。マーカス・ハンセンの「二世(子)が忘れようとするものを、三世(孫)は思い出そうとする」という名言に要約されているとおり、二世が一世の旧世界への愛着に反発し、抽象的な”アメリカ人”になり切ろうと努力するのは、すべての移民集団に共通の現象で、日系二世のみに限ったことではない。しかし、1940年代のアメリカ社会には日系二世だけにハンセンの法則を適用しがたいという、抜きがたい偏見が底流していた。語学テストの意外な結果は、皮肉にもこの偏見を打破したのであった

p160.逐次占領を開始した米軍の前で、日本人はほとんど異常なほど静まり返っていた。連合国記者団の第一陣として、東京に乗り込んできたAP通信社のラッセル・ブラインズは、「全国民が余りにも冷静なのに驚いた」と告白している。だが、「驚いた」のはなにもブラインズだけではなかった。実は占領軍自身が、すべては「巨大な罠(a gigantic trap)」ではないかと、疑っていたのである。この沈黙が解けたとき、にわかに血の雨が降り、米軍は一挙に殲滅されてしまうのではないか、と

p161.あらゆる日本人は「潜在的な敵」であり、そういう人間が住んでいる日本という国は、本来「邪悪」な国である。この固定観念は、”ブラックリスト”作戦が中止されたのちになっても、いつまでも米軍当局者の念頭を去らなかった。それどころか、それは時とともに深く彼らの意識に浸透して、ほとんど日本と日本人を見るときに自動的に作動するフィルターのようなものになった。一方、不気味な沈黙を続ける日本人には、何ら自らの「邪悪さ」を反省するような形跡が認められなかった。米軍検閲官が開封した私信は、次のような文言で埋めつくされていたからである。≪橋のほとりにいる歩哨は、欄干に腰を下ろして、肩に掛けた小銃をぶらぶらさせ、チュウインガムを噛んでいました。こんなだらしのない軍隊に敗けたのかと思うと、口惜しくてたまりません≫(9月9日付)

p174.≪特に内示された指令は、いくつかの点において降伏文書とポツダム宣言に規定されている諸原則を著しく逸脱していると思われるので、小官は所見を貴官に上申しておかなければならないと感じるのである≫ マッカーサーその人すらこう考えていた以上、日本側が官民の別なく、敗北は合意による敗北であり、決して征服による敗北ではないと解釈したのは、余りにも当然といわなければならない

p208.答 われわれはいかなる日本の出版物に対しても指示したりはしない。もちろん「新聞遵則」は厳重に守ってもらわねばならない。問 それなら、とにかく日本人に関する限り報道の自由などというものは存在しないのですね。答 いまのはいかさまの質問だ。私は答えないぞ。この侮辱的かつ不適切な質問については、いかなる日本の雑誌も言及してはならない。問 侮辱するつもりでいったのではありません。私は、日本には自由な報道ではなくて免許制の報道があると考えたのです。答 私はこの問題について議論しない。君は信用できない。不誠実だ

p241.一見して明らかなように、ここで意図されているのが、古来日本人の心にはぐくまれて来た伝統的な価値の体系の、徹底的な組み替えであることはいうまでもない。こうして日本人の周囲に張りめぐらされた新しいタブーの網の目のうちで、被検閲者と検閲者が接触する場所はただ一箇所、第4項に定められた検閲とその秘匿を通じてである。検閲を受け、それを秘匿するという行為を重ねているうちに、被験者は次第にこの網の目にからみとられ、自ら新しいタブーを受容し、「邪悪」な日本の「共同体」を成立させてきた伝統的な価値体系を破壊すべき「新たな危険の源泉」に変質させられていく。この自己破壊による新しいタブーの自己増殖という相互作用は、戦後日本の言語空間の中で、おそらく依然として現在もなお続けられているのである

p247.ウォッチ・リスト担当のメッセージ分析員は、外観によって、どの手紙が無害な文面のものであるかを判定するよう務めなければならない。無害な手紙は、鋏を用いて開封すること。必要とあらば、すべての私信を蒸気を用いて開封し、秘密に封をした上で、無害な文面のもののみを鋏を用いて再び開封し、テープで封をすること

p253.毎週幾千となく東京に流れ込んでくるこれらの”コメント・シート”を基礎にして、GHQの民間検閲支隊は、公表された公式文書でこう述べている。「概して総司令部と占領政策に対する態度は好意的である。しかし、いくつかの指令に対しては強い反対があり、新聞検閲、特に郵便検閲に対する日本人の批判は高まりつつある」

p270.これは、いうまでもなく、戦争の内在化、あるいは革命化にほかならない。「軍国主義者」と「国民」の対立という架空の図式を導入することによって、「国民」に対する「罪」を犯したのも、「現在および将来の日本の苦難と窮乏」も、すべて「軍国主義者」の責任であって、米国には何らの責任もないという論理が成立可能になる。大都市の無差別爆撃も、広島・長崎への原爆投下も、「軍国主義者」が悪かったから起こった災厄であって、実際に爆弾を落とした米国人には少しも悪いところはない、ということになるのである。そして、もしこの架空の対立の図式を、現実と錯覚し、あるいは何らかの理由で錯覚したふりをする日本人が出現すれば、CI&Eの「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」は、一応所期の目的を達成したといってよい。つまり、そのとき、日本における伝統的秩序破壊のための、永久革命の図式が成立する。以後日本人が大戦のために傾注した夥しいエネルギーは、二度と再び米国に向けられることなく、もっぱら「軍国主義者」と旧秩序の破壊に向けられるにちがいないから

p272.占領終了後、すでに一世代以上が経過しているというのに、いまだにCI&Eの宣伝文書の言葉を、いつまでもおうむ返しに繰り返し続けているのは、考えようによっては天下の奇観というほかないが、これは一つには戦後日本の歴史記述の大部分が、『太平洋戦争史』で規定されたパラダイムを、依然として墨守しつづけているためであり、さらにはそのような歴史記述をテクストとして教育された戦後生まれの世代が、次第に社会の中堅を占めつつあるためである。つまり、正確にいえば、彼らは、正当な史料批判にもとづく歴史記述によって教育されるかわりに、知らず知らずのうちに「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」の宣伝によって、間接的に洗脳されてしまった世代というほかない。教育と言論を適確に掌握しておけば、占領権力は、占領の終了後もときには幾世代にもわたって、効果的な影響力を被占領国に及ぼしうる。そのことを、CCDの検閲とCI&Eによる「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」は、表裏一体となって例証しているのである

p291.注目すべきことは、そのような”奴隷の言葉”を用いて書かれたこの「天声人語」が、なおかつ「東條は人気を取りもどしたね」という車中の声を紹介し、「一部に東條陳述共鳴の気分が隠見している」という事実を指摘している点である。いうまでもなく、この事実は、前掲CI&E文書中の、「東條は自分の立場を堂々と説得力を以て陳述したので、その勇気を国民に賞賛されるべきだという気運が高まりつつある。この分で行けば、東條は処刑の暁には殉国の志士になりかねない」という認識と、正確に照応している。この「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」の「第三段階」は、ほかならぬこの危機感をバネとして展開されるにいたったのである。いや、「宣伝計画」というなら、そもそも市谷法廷における極東国際軍事裁判そのものが、最も大規模な「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」と目されるべきものであった。その宣伝効果をより一層完璧ならしめるために、CI&Eの「第三段階」が計画され、CCDの検閲と相呼応して、あるいは「客観的」報道の名の下に裁判の真の姿を隠蔽し、あるいは日本の報道機関を「指導」して、被告団の生命を賭した陳述に罵声を投げつづけさせたのであった

p298.その当時まで世界各国において知られておった戦争犯罪ということの意味は、結局戦争の法規、慣例を犯した罪という意味であります。その実例として多く挙げられておるものは、交戦者の戦争法規の違反が一つ、非交戦者の戦争行為が一つ、略奪が一つ、間諜および戦時反逆この4つが戦争犯罪の典型的なものであります。この法廷にはイギリスの裁判官もおいでになりますが、イギリスの戦争法規提要第441条には明らかにワー・クライムと戦争犯罪の定義を掲げております。また次の条には戦争犯罪の種類を挙げておりまして、この種類は今あげた4つであります。ひとり、イギリスの戦争法規提要だけではありませぬ。他の国において通用する言葉はすべて今申す通りのようでありまして、平和に対する罪、すなわちその戦争の性質が如何でありましても、戦争自体を計画すること、プラン、準備すること、プレパレーション、始めること、イニシエーティングおよび戦争それ自体、すなわちウェイジ・オブ・ウォーそれ自体を罪とするということは1945年7月当時の文明国共通の観念ではないのであります。学識豊富なる裁判官各位は、国際公法の著書についてはすでに十分御検討相成ったことと存じます。世間によく読まれているかの有名なオッペンハイムの著書でも、またホールの著書でも、戦争犯罪に戦争を始めること、これを戦争犯罪とはいっておりませぬ。わが国の立作太郎博士、信夫淳平博士の著書でも、戦争犯罪はことごとく戦争の法規慣例これに違反しているものであると申しまして、その例証も分け方によって5つに分けているのもありますが、実際において英国のマニュアルと同一であります

p301.この動議説明のあいだ、清瀬弁護人は、ときに右腕を振り、ときには卓上の草稿を叩いて声を励ましながら熱弁をふるいつづけ、「まことここに一法律家存す、の思いを感ぜしめた」という。「あの混乱のさなかにおける弁論の準備、論理の組み立て、そして誰はばからず喝破するその勇気には、廷内にいる者誰もが感銘を受けたことである」と、朝日新聞法廷記者団著の『東京裁判』上巻は記している。清瀬動議は、キーナン、コミンズ・カー両検事の反論とブレークニー弁護人の支持弁論のあと、ウエッブ裁判長から5月17日、第7回の法廷で却下されたが、その理由は、「将来に宣言する」というのみで当時開示されなかった。しかし、清瀬動議は、占領中公表を禁じられたパル判決とともに、極東国際軍事裁判の合法性に対し、真正面から根本的な疑義を提出した歴史的な文書として、永く人々に記憶されるようになったのである

p321.国際法の論理からすれば、「崩壊」の結果、ドイツという国家はいったん完全に消滅し、その旧版図は米・英・仏・ソ4カ国の共有領土に等しいものとなった。したがって、ドイツの戦争犯罪人は、法理上は連合国にとって国内刑法上の犯罪人に等しいものとなり、その裁判には、連合4カ国相互間に生起しうる問題を除いて、なんら国際的な問題の介在する余地がない。全く同様に、ドイツで占領軍当局が実施した民間検閲は、法理からいえば純然たる国内的な検閲であって、日本におけるCCD検閲のような国際的検閲ではなく、実質からいえば文字通り国家の「崩壊」を前提とした検閲以外のものではあり得ない

p335.井伊と吉田、50年前には互いに不倶戴天の仇敵で、安政の大獄に井伊は吉田の首を斬れば、桜田の雪を紅に染めて、井伊が浪士に殺される。斬りつ斬られつした両人も、死は一切の恩怨を消してしまつて谷一重のさし向かひ、安らかに眠つてゐる。今日の我等が人情の眼から見れば、松陰はもとより醇乎として醇なる志士の典型、井伊も幕末の重荷を背負つて立つた剛骨の好男児、朝に立ち野に分れて斬るの殺すのと騒いだ彼等も、50年後の今日から歴史の背景に照らして見れば、畢竟今日の日本を造り出さんが為に、反対の方向から相槌を打つたに過ぎぬ

p350.ところがこれに対する映画者側の反応は、私の予想を少なからず裏切っていた。なによりもまず、その”御製”がちょっと、その、というのである。ちょっと、そのとは、なんですかと訊き返すと、”御製”という言葉はいまは使わないのだ、いや、使ってはいけないのだ、という返事である。いまは”お歌”といわなければならないことのいなっている、という答であった。ここにおいて、私はいささか色をなした。冗談じゃない、”お歌”とは何事か。幼稚園児の唱歌じゃあるまいし、天皇の詠じられた詩歌を、どうして”お歌”などという甘ったるい言葉で呼べるか。そんな言葉は、本来の日本語の、国語の語感にそぐわないではないか



20110306183927

google adsense

関連記事

no image

スティーヴン・D.レヴィットほか「ヤバい経済学」東洋経済新報社

買って、読まずにモタモタしていたら、増補改訂版が出てしまった。本も鮮度が結構大事。著者のブログを眺め

記事を読む

no image

中西輝政「情報亡国の危機」東洋経済新報社

インテリジェンス関係の本は好んで読むもののひとつ。と言うと、かなりとんでもない印象を持たれかねないか

記事を読む

湊かなえ「告白」双葉文庫

20140413111232 告白 (双葉文庫) (双葉文庫 み 21-1)著者 : 湊かなえ双葉

記事を読む

no image

改定・保育士養成講座編纂委員会編「改定・保育士養成講座2006第9巻 教育原理」全国社会福祉協議会

保育士試験受験シリーズ(9/11) ここだけなぜか、試験範囲の記述とテキストで順番が違う 試験問題の

記事を読む

no image

馬場啓一『「いき」の作法』PHP文庫

歯が悪いことはみっともない。これは身につまされる。小さいときにもっと気をつけていればよかった。いまは

記事を読む

no image

大前研一「私はこうして発想する」文藝春秋

20090304230300 先日、古い本(hiog: 大前研一「遊ぶ奴ほどよくデキる!」

記事を読む

no image

中島義道「うるさい日本の私」新潮文庫

日本に住む人には一読をお勧めしたい 先日読んだ本"中島義道「私の嫌いな10の人びと」新潮社"が面白

記事を読む

no image

箱田忠昭「いつも忙しい人、なぜか余裕のある人 最後に笑う人の時間管理術」PHP研究所

主張のトーンがハードで気に入ったな。おもしろくて休憩を入れずにあっという間に読み終わってしまった で

記事を読む

no image

ロバート・キヨサキほか「金持ち父さんのキャッシュフロー・クワドラント」筑摩書房

豊富な事例を滝のように出してくれる。同じ主張を、手を換え品を換え、これでもかこれでもかと説得される

記事を読む

no image

池田信夫「古典で読み解く現代経済」PHPビジネス新書

20120211000945 セミナーでの講演録。スミス、マルクス、ナイト、ケインズ、ハイエク、フ

記事を読む

google adsense

google adsense

MediaPad M3 LTE プレミアムモデル購入して2か月

20170409130135 もう2か月が経ってしまったけど、記

Windows10アップグレード導入

20160307001116 2台のノートPCにつき、無料のWi

Nexus 6Pが届いた

20151105221617 無事に届いた。 海外荷物受付

Nexus 6Pが発送された

20151103103105 「発送しました」って内容のメールが

Nexus 6Pを発注した

20151031100625 それまでもネット経由でいろいろ調べ

→もっと見る

  • 名前:Max 年齢:人生の2合目くらい 誕生日:夏の暑い日 一言:他言無用ということでお願いします
  • あわせて読みたい
  • にほんブログ村 本ブログへ
PAGE TOP ↑