工藤美代子「悪名の棺 笹川良一伝」幻冬舎

公開日: : 最終更新日:2012/03/11 書評(書籍), 有罪判決



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読み応えのあった一冊。夜更かしして体調を崩してしまいそうでも読み続けてしまう面白さ。ただし、社会に出る前の部分は、少し退屈かな。川端康成との奇縁を思った程度で、ここで読むのを止めてしまってはもったいない

艶福家としての一面が強すぎる。これを女性の女性がかなり肯定的と思える筆致で表現するのが、奇書らしさを醸し出す

やはり、恒産があるということの自由さはうらやましい。しがらみがない。人に頼り、弱みを握られることもない。愚行を行うことも自由。自分の信じるところに進むためには自由になる財産を持つのがいいというのは今回も痛感

主人公の金儲けの能力については、あまり触れられていない。確かにその価値を生かした使い方については思い知らされるだけに、少しバランスが悪くて消化不良になる。この本を読んだだけの知識なので丸呑みは危険だ。しかし、巣鴨プリズンでの存在感と、戦後の慈善事業のため、国会議員に強いコネができたゆえに、議員立法で、さらには初の衆議院の優越により参議院の否決を跳ね返して成立したモーターボート事業で財産を作る装置を作ってしまう大きさ。そして極端さ。これに対して小さい人間は反感から巨悪のイメージで表現するのだろう

戦犯とその家族への援助。こういう一面について、従来は強く紹介されてこなかったとのこと。戦前戦中は相当立場の違ったのに、戦後には、絞首刑となった戦犯の未亡人に強く感謝されているところは印象的

慈善家といての一面。ハンセン病根絶に向けた活動。自分もB&Gのプールに行って母を背負う主人公の銅像を見かけたり、テレビアニメの一休さんのCMで「戸締まり用心火の用心」の歌と、「一日一善」「世界は一家、人類はみな兄弟」という標語をよく聞いたものだ

沈没船の引き上げを数十億のコストで数兆の利益を得ようとし、その因縁から北方領土の返還交渉につなげようというスケールの大きさ

この夏、たまたま、船の科学館に行っていたので、感慨もひとしお。あれも休館になってしまった。あのレストランで食べたのはなんだったか。この本を読んでからならばチャーハンを注文したに違いない

タイトルも上手だ



p19.ときに川端康成は、第4代日本ペンクラブ会長として国際ペンクラブ大会の招聘などに奔走し、資金調達には大いに腐心していた。そんな折、竹馬の友は進んで資金援助を申し出ている。「君のように学問のある者は学問を持って世の中に奉仕する、多少でも金のあるものは金で奉仕する、それが私の主義だから」

p43.だが、テルは違った。「雉が撃たれまいとして鳴かないのは、卑怯なこと」と家を出る息子に教えた。この教えは長く良一の胸に留まって、消えることはない

p72.笹川良一が他の多くの右翼とひときわ異なっていたのはとりわけその経済力であった。国粋大衆党はいってみれば個人経営であり、笹川はオーナー総裁である。財閥の世話にならないのはもとより、政界、財界、官僚の誰一人からも援助を受ける必要がないのだから遠慮も要らない。自由で異端の右翼でいいのだ

p82.三男・陽平はこのときの父の思いを忖度しながら次のように語る。「後で分かったことですが、親父はね、それ以来人との濃密なつき合いというのを作らなくなった。片手以下しかいませんよ。人なんか頼りにならない、というのを身につけたんですね。そのかわり、誰でも来るものは拒まず主義だから、どんな人とでもすべて平等につき合いはする」さらに、「そういうところは私も知らないうちに学んだのかな、だから自分は今でも群れるのは嫌いですからね」と、言葉を継いだ

p88.「いや、西へ行ったら浜松を境に東京の女は忘れる。西の女に愛のすべてをくれてやる。東京へ帰ってきたら、大阪のことはすべて忘れて東京の女に愛情を注ぐんや」

p112.その晩は、大連のホテルに2部屋とったが、芳子は笹川の部屋からなかなか帰ろうとしない。先に休むぞ、と言って横になるといつの間にか芳子がベッドにもぐりこんでいた。「お兄ちゃん、抱いて」来る者は拒まず、が笹川の流儀だ

p116.「いやいや、川島芳子とは寝てます。何回も寝てます。それはもう、手紙を見れば分かりますし。僕はいっぺん九州の方からね、『私のところへ笹川先生が川島芳子とよくお泊まりいただいて』なんて言われて。そこからきた便箋もありますしね。笹川良一は心から川島芳子を愛していたとは思えませんがね。なにしろ彼のタイプじゃないし、ガリガリの女で、麻薬患者でしょ。だから用が終わったら怖いから鍵を掛けて、俺は一人で眠るから、とかね」

p132.だが、笹川はうまくかわして、おいしい話を児玉に振った。政府や軍に取り入って甘い汁を吸うような仕事に笹川は一切手を出そうとはしない。出す必要もなかったし、そういうことが好きでもなかった。資金力は自前で十分に足りていたし、不足すれば得意の先物取引などで儲ければいい。特務機関に自らが参加するのは「どうも気に入らない」といったような勘ばたらきがあったのではないか

p137.ちょうど結党十周年を迎えた国粋大衆党は、面白いことに選挙スローガンの頭に「一億兄弟各位」というタイトルを付けていた。今からみればこれが「人類みな兄弟」の原型ともいえる

p155.この夜襲来した米空軍爆撃機B29の編隊は初めから非戦闘員を標的とし、同時に下町や京浜地区一帯の中小企業・町工場を無差別に破壊する目的をもっていた。敵機は燃料節約の意味もあって編隊を組まずに各個爆撃を開始した。その後、本所、浅草から城東地区一帯、芝方面へと爆撃は執拗に繰り返された。多量の焼夷弾を投下するために、機体からはほとんどすべての機銃や弾薬が事前に降ろされていた。木材建築の日本家屋を効果的に燃え上がらせるため、爆発力より燃焼力を優先する焼夷弾が開発されていた。その実験が無辜の市民に対して行われたのである

p162.笹川良一だけは他の多くの戦犯容疑者たちと決定的に違っていた。笹川が終戦とともにもっとも願ってやまなかったのは、反対に逮捕されることだった。この際戦犯に是非とも指名され、巣鴨拘置所内でひと暴れしたいものだ、と真剣に考えていた。ひと暴れとは、刑務所内での待遇改善交渉や裁判技術を指南しなければならないという意味だった。入獄経験のある笹川ならではの戦術である

p181.「東条さん、元気を出してください、うなだれている場合じゃないですよ。いまあなたの責任は重いのです。天皇陛下の運命があなたの双肩にかかっていると申し上げても過言ではない。世間のあなたに対する誹謗攻撃に耳を傾ける必要はありませんよ。あなたは今日に臨んで何をなすべきか、その使命に向かって邁進すればいいのです」叱咤するようにそう言うと、東条は肩を落としたまま少しうなずいた。考えてみればいかに落剥著しい東条とはいえ、つい先ごろまでは対等に口を利ける相手ではない。軍隊の階級でいえば、上等兵が大将に説教したことになる。国会議員一年生のときには推されて東条攻撃の急先鋒に立った。つい3年ほど前、その東条は首相、陸将、参謀総長を兼務してまさに飛ぶ鳥を落とす勢いだった。翼賛選挙の激しい弾圧に対する抗議は受けたものの、東条からすれば蚊に刺されたほどにも感じなかっただろう。それだけ彼は権力の絶頂にあった。結局、東条とは犬猿の仲のまま、この巣鴨の塀の中で再会したのだ

p275.訪ねてくる遺族や留守家族の交通費、小遣い、就職の世話、病気の費用すべてが笹川の個人負担であった。笹川は、「断じて行えば鬼神もこれを避く」の意気込みだった、と語っているが、その決意に私心がなかったことはいまでは多くの人が認めるところである。こうした笹川の尽力は、本人が進んで話さなかったいきさつもあり、ほとんど知られていない

p285.彼の頭の中に浮かんでいたのは、獄中でみたアメリカの雑誌『ライフ』に載った写真だった。巣鴨の中では夢のまた夢のような世界に思えたその写真は、大海原を疾走するモーターボートである

p287.これが26年3月、議員立法として初めてモーターボート競走法案を衆議院に提出させる原動力となった。法案は衆議院で可決されたものの、参議院で否決され、国会史上初めて行使されるという憲法第59条第2項に基づいて衆議院に戻され、逆転可決されたのであった

p290.「おい、あの埋め立て地を買うぞ。あそこなら海が目の前だから船の科学館建設にはぴったりだ」こんな笹川会長の提案に乗る職員は皆無だった。突拍子もない買い物だと誰もが反対した。だが、何年か前には浅間山の麓、北軽井沢にある鬼押出の土地、といっても溶岩の上にペンペン草がはえているだけの場所を何百坪も買ったのが値上がりした実績があるだけに、反対の声には勢いがない。溶岩台地はただ同然の金で笹川に引き取られ、やがて西武と東急に半分ずつ転売された。労せずして大枚の金が転がり込んできた事実を職員は目の当たりにしていた

p298.気まずい時間が流れたが、喜代子はやってきてよかった、これでもういい、と胸でつぶやいた。私の代わりに3人も親族席に座っているのだから。「疲れたろう、お袋」勝正以下、息子たちが葬儀終了とともに集まってきて、身体を気遣った。この後、兄弟3人とそれぞれの嫁たちが寄り合って、一緒に京都で遊ぶ計画が立てられていた。「楽しかったわ、嵐山の舟遊び、銀閣寺や苔寺。もう思い残すこともない」兄弟3人にとって、最初にして最後の母との旅で喜代子がそうつぶやいてから半年が過ぎた

p304.「私はもう食べてなんかいられませんよ。すると会長はさっと立ち上がって、窓際からお台場を指さしながらこう言うんですよ。『あの船はなんていうんだ』ってね。知らないわけはない、ご自分で係留させたんですから。仕方ないから私も、たぶん『宗谷』じゃなかったでしょうか、と言うと、『そうか、宗谷か』なんていって、あとは『ちょっとおしっこ、おしっこ』で逃げ出すんです。トイレから戻ってくると、がらりと変わって起源をとります。『世間はな、わしのことを女好きとか何とか言いよるが、本当のところはな、色々あったかもしれんけど、こいつしか頭の中にはないんだよ』なんて言い出すんです。すると鎮江さんが『何言ってるんですか、まったく。いつもこうなんですから』で、一巻の終わりになっちゃう」

p310.ハンセン病患者慰問には世界各国へ行っているが、初期のころネパールの山奥へ行って老婆の患者に会ったとき、笹川は大粒の涙を流したという。同行していた陽平はこれまでしょうもない親父とばかり思っていたが、このときばかりは見方が少し変わったと話す

p312.「見るとね、手首から先がないんです。ほとんどの人が指なんかない感じだったのですが、会長は一向に構わず手を取って握るんです。みんな感激しまして、涙を流す老人とかいました。病床の方は豆電球だけで暗く、重症患者ばかり。そのベッドを回って、『頑張ってな、必ず治るから』って日本語は通じなくても、相手には分かります。その翌日も孤児院慰問でした。いよいよ帰る前日、浅葉さんとおっしゃったかな、大使がね、『先日は誤解をしておりまして、大変失礼をいたしました。笹川先生に対する考えがすっかり変わりました』と、目にいっぱい涙をためてご挨拶されたのを覚えています」

p353.それから、ナヒモフではどでかい計画をもっているんや。30億円ばかり損するつもりやったけど、世界中から海底からひきあげてくれといってきとるから一隻ではいかん、もうひとつ大きな船を20億円で買うた。50億円損しても、35年間、北方領土返還の国論が統一しなかったのが、ナヒモフ号をひきあげることによって統一できたとなれば、安い、安い。もし、あがらん場合でも、やあ、失敗しよった、面白いなあ、といって腹を抱えて笑ってくれればいい

p355.巨額の債務がこの引き上げ作業のために未払いで残されたといわれる。私財なのだから、迷惑がかかるのは相続した子孫だけである。”児孫のために美田を買わず”、をモットーとした笹川良一だが、それどころか、莫大な債務を残したことが分かっている

p369.槙枝元文に対応したのは89歳になっていた会長良一ではなく、当時理事長を務めていた三男・陽平だった。陽平理事長はCM攻撃のことなどおくびにも出さず、助成金だけを出した。その槙枝は前出の砂田文相との笹川批判の回想談に見るとおり、その後にわたっても公然と「ギャンブル王」呼ばわりしていた。笹川攻撃の的は以上から分かるように「ギャンブル」で得たカネだから胡散臭い、という一点に集約される。そこに、そもそも「右翼」で「A級戦犯」だった男というレッテル貼りがまとわりつくのである。ギャンブルのカネが汚れたものなら、元金である庶民のささやかな金銭も汚れているということになる。では、競馬も競輪も同じなのか。公営ではないがパチンコの売上金の行方を、当時の朝日新聞をはじめマスコミが問題にしたという話は聞いたことがない。槙枝のいうような、中国に使う分担金は「いいカネ」で、その他は「ギャンブル王の汚いカネ」という二元論がまかり通るのだから実に面妖である

p374.ナヒモフ号の金塊騒動もそうだった。金銭で騙された場合は埋め合わせる財力があったから何ごともなかったかのように済まされるが、人間関係から陥穽にはまったのを埋め合わせるのは容易ではない。しかも、決して口には出さずに腹の底で抑え、表情に出さない術は規格を超えていた。笹川はよく「悪口をいわれても、利用されても”有名税”だと思って済ませれば笑えるもんだ」と言っていた。破格の胆力が備わっていたとみるべきか。しかし、こうも言っている。「女の嫉妬は可愛いもんだが、男の嫉妬は恐ろしい」とも

p386.昭和58年11月、自治体消防35周年記念大会の式典で昭和天皇と並んで座っている写真が手元にある。昭和天皇と2人だけで並んでいる写真というのは、非常に希有な例だろう。日本武道館の壇上で、消防の制服を着た笹川が昭和天皇の横に座っている。天皇の口もとは、笹川に何ごとか尋ねているようにも見受けられる。くつろいだひとときがうかがえるが、笹川の感激も一入であっただろう。2歳若い天皇と、畏れながらほとんど同じ時代を歩んできたのだと、殯宮の儀で過ぎ去った時間を反芻していたに違いない。2月極寒の朝、笹川は全身を震わせて泣いた。5月がくれば90歳になる。笹川の芯にある気力が衰え始めたのは、この朝からではなかったか

p403.国のために戦った者を戦勝国の作った基準にしたがって、A級だのBC級だのと日本人が区別する愚かさは、いつになったら消えるのだろうか。笹川はその中で、特にBC級の戦犯とその留守家族の支援をポケット・マネーで続けたのだ。しかも彼は自らそれを公言するような行為すらしなかった。そういう人物を「何でもカネで解決しようとした」「リッチなファシスト」だと断じるのが、戦後の「進歩的文化人」だった。彼らによって、笹川の棺の蓋は歪められて閉じられたといえる

p408.案の定、悪口雑言の世評はそのまま棺に納められたままだった。私は棺の蓋を開け、つたないながらも詰まっていた分厚い悪名の束に手を突っ込んでみた。棺の底から、「世間の方が贋ダイヤみたいなもんやないか」という声が聞こえたのは錯覚か



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