斎藤美奈子「文章読本さん江」ちくま文庫

公開日: : 最終更新日:2012/02/10 書評(書籍), 文章術/レトリック



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文章術とかレトリックに関する本は私の好むジャンルのひとつ。それらのなかで、かなり頻繁にこの本が引用される。かつ、なんか敬遠されているような雰囲気を感じていた。何があるのかと不思議に思いながら読んで、それでいたくおもしろかった

無敵。これまでの文章読本が「ミイラ取りがミイラになる」状態。タイトルへの含意をはじめ、従来のリーダーたちの心理への攻撃/揶揄も多く、お手柔らかでない。川端、三島、丸谷、井上、本多など、文章の世界で姓だけで誰のことだか分かるような数々の大立て者を一人で向こうに回し、圧勝しちゃってるんだから。綿密な実証と、歴史に埋もれがちな明治以降の日本語の文章の紆余曲折も紹介しつつ

ただ、「服装と同じ」と一言で片付けられてしまっても救いようがない。TPOをわきまえたなりの、特にビジネスや学術のための、現代的な文章術、レトリック術を否定するものではないと思っています



p10.ああいったお花にも「○○讃江」「△△さん江」等の札がつきものです。めでたい席には花と札を贈る。そんな美しい習慣が日本にあるのですね。そこで文章読本でありますが、このジャンルは、数ある書物のなかでも、もっとも花を贈るにふさわしい晴れの舞台だと思われます

p16.谷崎読本だけが今日にまで生き残った理由は何だったのだろうか。谷崎潤一郎のネームバリューに加え、これは戦後に書かれた文章指南書の影響が大きかったのではないかと思う。よく知られているように、作家が書いた文章指南書は、谷崎以降、タイトルまで文豪を踏襲あるいは模倣するようになった。川端康成『新文章読本』、三島由紀夫『文章読本』、中村真一郎『文章読本』、丸谷才一『文章読本』、井上ひさし『自家製 文章読本』等である。ここまでくれば、文章読本の開祖は谷崎潤一郎であり、文書読本とは当代一流の小説家が書くものという認識が、作家(書き手)と世間(読み手)に醸成されるのも無理はなかったかもしれない

p20.読み方の本(リーダー)だったはずの「読本」が、「文章」という語とドッキングしたとたん、書き方の本(コンポジション)に反転するのはオセロみたいで腑に落ちないような気もするが、まあ、あんまり細かいことは気にしないで先に進もう

p24.上機嫌になるのも道理であろう。若いもんをワシが矯正してやるという発想ほど、人間を上機嫌にさせるものはない。「文章」の部分に「仕事」を代入すれば上司から部下への訓導、「根性」を代入すれば運動部のしごき、「家事」を代入すれば姑の嫁いびり、「思想」を代入すれば酔っぱらった全共闘くずれの居酒屋談義としても通用しそうだ

p32.文章読本がなべて「ご機嫌」な理由が、わかってもらえただろうか?第一に、それは若いもんに活を入れる仕事である(恫喝型の挨拶文)。第二に、それは積年のイライラを解消し、持論を存分に展開する好機である(道場破り型の挨拶文)。第三に、しかもそれは、文章家としての実績を認められた栄達の証しにほかならない(恐れ入り型の挨拶文)。上機嫌になるなというほうが無理な相談なのである

p42.小説家の文章読本として名高い谷崎読本や丸谷読本でさえ「芸術家のための本ではない」と明記しているのである。ここはけっこう大事なところだから、よく覚えておいてほしい

p55.御三家・新御三家の他の5冊が40代後半~50代に書かれた本であるのに対し、これを書いたとき、三島由紀夫はまだ30代の前半であった。早熟な天才による凡庸な文章論。開祖に対するせっかくの反逆は、反逆者の貴族趣味によって、はからずも不発に終わったのだった

p57.もうひとつ、清水読本が後世に影響を与えたと思われるのは<「が」を警戒しよう>という警句である

p66.本多読本は娘を持った神経質な父親に似ている。「ここまで口を酸っぱくしていわないと通じないのではないか」という強迫観念が感じられるのだ

p72.復古調が受けたのか、丸谷読本は1977年のベストセラー9位になつた。もつとも、この年の第1位は徳大寺有恒『間違いだらけのクルマ選び』であるのだから、文章貴族の天下とは、たうていいへないわけだけれども

p90.新聞記者の短文信仰には理由がある。新聞は1行11字詰め(昔は15字詰め)で印刷される。一文が短くないと。読みにくい。のだ

p117.文章読本は「名文を読め」と教える。しかし、前にもいったように、「名文」がどんな文章を指すかはだれにも説明できない

p131.文章読本の書き手は、ひとりの例外もなく印刷媒体で仕事をしている人たちだ、ということを忘れてはいけない

p143.いっぽうで技術の必要性を口を酸っぱくしていうくせに、野口シカの手紙といい、南極観測隊員の妻の手紙といい、なぜ技術論を根底からくつがえすような文章が賞賛されるのだろうか

p199.これは『女学雑誌』に発表された、若松賤子による有名な翻訳文である。はじめてこれを目にした人は、だれもが驚くはずである。こんな日本語は見たことがありませんかッた、である。「ありませんでした」が定着する以前には、こんな試行錯誤があったのだ

p324.しかし、たぶんみんなは誤解している。こういう幼児的な饒舌体の文章を書く人は、いけずうずうしい不逞のヤカラだと思ってない? 本当は逆なのだ。「文体」とか「レトリック」なんて恥ずかしい語を、この人は使いたくないわけよ。大まじめな文章読本を書けちゃう人のほうがよほど不逞のヤカラであって、佐藤克之に特徴的なのはむしろ含羞なんだけど、ま、あまり理解はされないか。カーツ読本のモットーは<女犯すな、文章犯せ>だ。これも正しい認識だが、わかる人にしかわかんねえだろうなあ

p332.「美しい日本語」の押しつけには「日本語なんて、あんたが思っているより多様なんだよ」「じゃあ民族衣装(地方語)で公の席に出たらいかんのかい」と切りかえしてやればよいのである。野口シカの手紙を思い出してほしい。あれは彼女の貧しい出自、べつにいえば「階級」に規定された文章、野良着しか持たない彼女が精いっぱいめかしこんだ「礼の形」だったのだ

p334.服飾史と文章史には、共通した大きな原則がある。第一に、衣服も文章も、放っておけばかならず大衆化し、簡略化し、カジュアル化するということである。少なくとも近代以降、衣服の歴史はドレスダウンの歴史であった。その揺り戻しとして、超人工的、超ドレッシーな服がたまに流行することはあっても、それが趨勢になることはまずない。「ちょっと気取る」は田舎者の発想で、伊達者はつねに「ちょっと着崩す」がおしゃれの基本だった。文語体から言文一致体へ、さらに現代かなづかいへという変遷だって、文章のカジュアル化、ドレスダウンへと向かう方向だったではないか。第二に、民主化に貢献するようなスタイルの変革は必ず「外部」と「下部」からやってくる、ということである。だから服飾デザイナーは、いつも新しいデザインを外(異国の民族服とか軍服の婦人服への応用とか)と下(下着とか下々の労働着とか)に求めてきた。文章も同じだったように思う。開国による外国語(外)との接触は、言文一致を発展させる契機になった。しかし、はたして口語体を編み出したのは文学者(上)だったのだろうか。それは、印刷言語至上主義に侵された私たちの偏狭かつ滑稽な思い込みではなかったか。インテリ言語である文語体を基準にするからそうなるので、「話すように書く」ことなど、文字を習いたての人(下)には、当たり前の書法だったはずである。野口シカの手紙が言文一致でなくて何だろう

p337.レトリックの価値を、近年、もっとも魅力的に解説したのは『レトリック感覚』『レトリック認識』の佐藤信夫だ。ーー元来レトリックは、常識的な作文の規則にいくらか違犯しそうな表現を求めて発生したはずである。ときには文法にさからいかねない野心をもって登場したのだった。つまり、退屈きわまりない平凡な表現(言いかええれば正常な表現)のわく組みを破ることによって意表に出ようとする技術であり、発信者が受信者を驚かす戦術であった。そのねらいが説得にあるにしても、芸術性にあるにしても、である(佐藤信夫『レトリック感覚』)

p344.少なくともデジタル系文章読本に関する限り、もったいぶった挨拶文は駆逐され(スピードが求められる時代にそんなものは読み飛ばされると知っている)、経験に根ざしたエラそうな物言いも影をひそめ(ネット自体が新しいメディアなのだから経験はモノをいわない)、「名文を読め」「毎日書け」といったまどろっこしい文章修業のすすめも姿を消し(ブログなんかはじめたらイヤでも毎日書くハメになるのである)、箇条書きやチャートを駆使した「ひと目でわかる文章読本」が次々に生まれている。エリート新聞記者の天下もこれまでか、の感ありである

p330.文と服の類似を指摘したまではいいけれど、なんか変。服装といって彼ら文章家がイメージするのは、成人男性の、それも多くはホワイトカラーの衣服ばかりなのだ。しかも、異様に時代錯誤。紋付き、羽織袴、チョンマゲ、着流し、ステテコ、モーニング、ランニングシャツ。衣冠束帯! 裃? さすがの谷崎潤一郎も、まさかカミシモは着用していなかったと思うぞ。文章家の皆様は、文章に心を砕くほどには、ファッションに関心がないのだろう。どうりで、ジャーナリスト系の文章読本には色気が不足していたはずである。彼らの念頭には人前に出ても恥ずかしくない服(文)のことしかない。彼らの教えに従ってたら、文章はなべてドブネズミ色した吊しのスーツみたいなもんになる。新聞記者の文章作法は「正しいドブネズミ・ルックのすすめ」であり、まさに新聞記者のファッション風なのだ。ついでによけいなひところを加えれば、ドブネズミ・ルックに慣れた人がたまに気張って軽い文章を書こうとすると、カジュアル・フライデーに妙な格好であらわれるお父さんみたいな感じになる。新聞記者系の文章読本がなべてカジュアル・フライデーっぽいのは偶然だろうか。しかしまあ、それはよい。文は服である、と考えると、なぜ彼らがかくも「正しい文章」や「美しい文章」の研究に血眼になってきたか、そこはかとなく得心がいくのである。衣装が身体の包み紙なら、文章は思想の包み紙である



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