西川善文「ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録」講談社

公開日: : 最終更新日:2013/01/15 書評(書籍), 銀行



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コンフリクトが面白かった。SMFGの増資の際、GSとの合作で実現した第三者割当増資+公募案件を、JPMが言外に三井との関係を主張しつつ、条件面でも有利なことを言う。時間軸の復号化で値段を付けているときに単発ディールとして顕示された条件がいくら良くても話が変わることにはならないという理屈は感服だ

ていぱーくのオリックスへのバルクでの譲渡による処理と、政治側からのちゃぶ台返しなど、各局面における政治との戦いが面白い

またダイエーのローソンを三菱に売った話、郵政のカード事業で三井住友カードが残ったときの話、なども、自分の利益誘導をしていないのだということは比較的、信頼できる話だろ思う

しかし、激しい性格の人なんだろうが、筋は通っていて好感の持てる人物だと思う。頭取に対して会長の更迭を求めて電話口で怒鳴りあげるところ、GSの出資にJPMからの横やりを代表する奥副頭取に対して、テレビ会議で馬鹿野郎とか言っちゃうところ。そして、それをこうやって単行本に書いちゃうところ。それでもなお、中坊公平のときや郵政社長の引き際など、我慢すべきところではしっかりと折れるところとか、参考になる動きが多く感じる

とはいえ、都銀とメガバンクのエリートの思考回路、行動様式がよくわかるということは言える。破天荒なところが目立つとはいえ、基本線は外していないところを感じる



p2.銀行員として営業を経験した期間は、新入行員時代に大阪市大正区の支店で過ごした3年間と、丸の内支店長を1年務めた、たった4年しかない。海外の支店長も務めたことがない。輝かしい営業成績を後ろ盾にトップに就任した銀行界の諸先輩と比べれば、私の銀行員としての経歴はいびつでさえある。がむしゃらに働いた30代半ばから50代半ばのほどんとの期間を、安宅産業の破綻処理、平和相互銀行合併問題とイトマン事件の処理、そしてバブル崩壊に伴う不良債権処理に費やした。にもかかわらず私は、まがりなりにも大手銀行のトップとして指揮を執ることができた。それは、私が入行してからの40年にわたる時代が、けっして「平時」ではなかったことが大きい

p25.法学部の同窓に、阪大副学長、帝塚山大学学長を歴任して現在は阪大名誉教授の松岡博君がいる。彼が阪大副学長のときに会った際に、「西川、お前、阪大の入試ではトップの成績だったよ。だけど卒業するときは2番だった。お前、大学じゃ、あまり勉強しなかったからなあ」と笑われたことがある。法学部に在籍したとはいえ、司法試験の勉強をしようとはまったく思わなかった。六法全書のような分厚い本を読まなくてはいけないと考えただけで嫌になってしまった

p29.正式な採用決定は、解禁日となる10月1日だった。この日に役員面接があった。テーブルの真ん中に堀田庄三頭取が座っていた。後に「住銀の法王」とまで呼ばれた人である。何しろ1952(昭和27)年に就任後、71年に浅井孝二さんにバトンタッチするまで19年の長きにわたって頭取を務め、その後も77年まで会長職にあったから、トップに君臨した時期は実に四半世紀に及ぶ

p36.2年目の12月だったと思う。ボーナス期で支店内に預金獲得目標が掲げられた。通常月も目標はあるが、特にボーナス期は力が入るし、金額も当然大きなものになる。それまで、私は一度も目標を達成したことはなかったのだが、運がよかったのか12月は目標をクリアした。当時、次長が支店長に「今月は西川君も目標を達成しましたよ」と支店長に伝えた声が今も記憶に残っている

p52.この調査部時代に私は将来仕える頭取となる巽外夫さんと出会った。巽さんは当時、審査第二部長だったので、私が書いた所見が審査部に行くと、部長自ら書類を持ってやってきて、私の横に座る。座るといっても平社員の机だから別の椅子も何もない。ごみ箱があるだけなので、それを椅子代わりにして座り、「西川君、これはいい所見だから間違いないと思うけれど、他に何かないのか」と聞いたりする。ざっくばらんで飾らない人だった

p55.当時、都銀各行のMOF担は、あまりおおっぴらには言えないことだが、毎晩のように大蔵省接待を繰り返し、大蔵省が抜き打ちの銀行検査に入る前に期日の情報を探ったりしていたものだ

p76.私が瀬島さんと直接話す機会はなかったが、先方から返ってくる回答がいつも非常にシンプルだった印象が強い。これは瀬島さんの影響だったと思う。複雑なものごとを複雑なままつかまえて見ていくのではなく、非常に簡潔にポイントを絞ってご覧になっていた。大体三本柱のようにまとめてあって、5つも6つも書かない。たとえば合併条件として伊藤忠が最初に出したものも、一つ、新日鐵の商権は間違いなく伊藤忠が継承できる。一つ、一切の負担を持ちこまない。一つ、銀行取引は合併後も第一勧業銀行をメインとする。こんなふうにズバッと明快だった。それだけではない。たった3つしかないのに細大漏らさず書いてあるのだ

p109.「うちにはあの安宅を処理した兵がいるから大丈夫、平和相銀くらい何とでもできる」と大見得を切ったそうだ。もちろん磯田さんは全体的なことは把握していた。しかし合併目的の第一が首都圏店舗網の拡充にあったから、実際に平和相銀にはどんな店舗があるのか、どんな不良債権を抱えているのか、フタを開けてみるまで中身はわからないのにあまり厳しくチェックしないまま、安宅を処理しおおせた”兵”がいるから大丈夫だろうということで決断したわけだ

p112.とにかく、私からすれば平和相銀は、数だけは103店と多くてもボロ店舗ばかりで、住友銀行は余計な苦労を抱え込むばかりに見えた。しかし磯田さんは「100年経ってもこれは手に入らない」とよく言っていた。たしかにこのとき支店を手に入れた東京の西新橋や飯田橋では、当時はそう簡単に新規出店などできない。店舗行政の制約を突破して住友銀行を日本のトップバンクにしようとする強い執念が磯田さんを突き動かし、それが住友銀行全体を動かした。磯田さんはどちらかというと言葉数の少ない人だったが、こうと決めて発言したら絶対譲らないバイタリティがあったし、周囲にはそれをサポートする側用人のような役員が大勢いた。しかし本当に皮肉なことに、100年どころかこの合併から数年後には財務省の店舗行政がどんどん緩和していき、新規出店がはるかにやりやすくなったのだ。結果的にはこんなにむ理をしてまで平和相銀を買わなくてもよかったのかもしれなかった。このとき払った代償の大きさを考えると、私はそう考えざるを得なかった。代償とは、平和相銀株取得にイトマンファイナンスの力を頼ったことである。平和相銀問題があったからイトマン事件もあったと私はみている

p123.橋本蔵相に会いに行く前夜、どうにも我慢できなかった私は自宅から巽さんに電話をして、激高して怒鳴りあげた。「頭取、磯田さんを何とかしてください。早く辞めさせてください。こんなことが続いては、銀行はもちませんよ!」よほど声を荒げていたのだろう、妻に、「あなたはいったい誰に電話しているつもりなの!」と怒られたほどだ

p152.ところが、住専各社は店舗網が十分ではない。したがってバブル時代に住専がのめり込んだ法人向け不動産担保融資の案件を銀行側から紹介しなければいけなかったのだ。だから、住管機構の主張を銀行側から見れば、大蔵省主導で出資させられ、融資先まで紹介したのに、焦げ付いたら筋の悪い案件を紹介した銀行のせいだ、と言われていることになる。その理屈は到底納得できるものではなかった。ところが住専にはすでに公的資金が注入され、世論は銀行側にとても厳しくなっていた。そこに拍車をかけたのが住管機構社長の中坊公平弁護士とマスコミの存在だった。国民の税金を取り戻そうと奮闘する中坊さんと、それを応援するマスコミの報道によって、住友銀行はすっかり悪役になってしまった。しかし、問題は何の審査もしないで融資をした住専にある。世論を敵に回すつもりはなかったが、納得できないものは納得できないので突っぱねたため、裁判に持ち込まれることになった。結局、この裁判は1999(平成11)年2月1日、住友が30億円の損害賠償に応じて和解することで決着がついた。実は和解を受け入れたのは、元最高裁判所長官だった矢口洪一さんの説得によるところが大きかった。矢口さんは中坊さんにとっても大先輩にあたるのだが、「中坊は頑固だから絶対に引っ込めない。住友銀行ががたがた言われるだけ損だ。手を打ちなさい」とアドバイスしてくれた。矢口さんは、水俣病やイタイイタイ病の公害訴訟被害者救済への現実的なメドを立てたり、現在の裁判員制度の導入にも熱心であったりするように、裁判の世界だけで判断することの愚かしさを誰よりも理解していた偉大なる常識人だ。住管機構からの提訴にしても、矢口さんなりの常識的なセンスを発揮してアドバイスしてくれたのである。和解した直後に中坊さんから電話があった。「一度お会いしたい」と言う。「こちらのほうがからお伺いしますよ」と言っても、「いやいや、こっちからお伺いしてお礼を申し上げたい」ということになって、翌2日に住友銀行にまで来られたのでお会いした。会ってみれば中坊さんは忌憚なく話のできる人で、「西川さんだから、あれがやれたんだ」とぬけぬけとおっしゃる。しかし、私もこういう人物は嫌いではない。2人はすっかり意気投合したものだった

p164.大和銀行との合併には財務省の意向が働いていた。大和がニューヨークから追放されたのは財務省の指導ミスもあるという負い目があったのかもしれない。「大和の救済だけは大蔵がバックアップする」と言うのだから、こちらが断る理由は何もない。この時期、大和に限らず関西の銀行は近畿銀行、なにわ銀行、福徳銀行などどこも経営状態が非常に悪く、火薬庫とまで呼ばれていた。私も大蔵省の担当官に赤坂にある日銀の接待施設・氷川寮に呼ばれ、「○○銀行はもう破綻している。西川さん、住友で大坂をなんとかしてくださいよ」と言われたことがあるほどだ。なんとかしろと言われても、とてもではないが荷が重すぎる。そのたびに「私たちの力では及びませんよ」と断っていたのだが、大和銀行には信託兼営という魅力があった。何度も先方の副頭取、専務と会い、好感触を得ていたし、統合の了解含みで話は進められていた。しかし、先方に反対勢力があって当時の頭取を説き伏せ、結局はご破算となり、住友銀行はタダ働きという結果になった

p166.東京三菱も考えられない。第三者から見れば三井も三菱も同じ財閥系なのだから、どちらと一緒になっても同じだろうと思われるかもしれない。しかし、三井と三菱とではまったく性格が違う。三菱は住友と同様、グループ内で人的交流が盛んに行われるなど、グループの結束力が非常に強いのだ。その両者が統合することに対しては、お互いに相容れないものが肌感覚としてあったと思う。これに比べると、さくら銀行は三井グループとの関係が、三菱ほどには強くない。統合相手行をさくら銀行にすることで行内の意見調整はすぐについた

p169.一つ問題になりそうだったのは、合併後の新会社の名称についてだ。今でもよく一般の方から「住友が前でなくてよかったのですか」という質問をもらう。私はどちらが先でも構わないと思ったし、逆にそんなことで揉めているという情報が流れたら、そのほうが恥ずべきことだと思っていた。それは白水会でも同様で、どちらの名前が先かについて反発は一切なかったのだが、「さくら」の名前を使うのはやめてくれという結論になった。そうなると岡田さんのほうにたいへんな苦労をかけてしまう。太陽神戸銀行との合併時に岡田さんは、「三井」の名前を最後にした「太陽神戸三井銀行」という名称にして合併相手に気を使い、さらに2年後にさくら銀行と解消してどこに銀行の旧名にも偏らないものにしたのだが、三井の名を復活させると今までのその苦労が無に帰すことになる。そう危惧したのだが、岡田さんはしっかり「三井住友銀行」で決めてくれた。合併の前倒しを発表した記者会見で岡田さんは、「さくら銀行という旗印の下で全行員が心を一つにして努力してきた。名前から離れる一抹の寂しさはあるが、住友という300年の歴史あるブランドと並べた際に重さの差はいかんともしがたい。新銀行として行員も取引先も理解してくれると思う」と述べている。これこそを経営者の深い、そして断腸の決断というのである。岡田さんの努力を思えば、住友の名が前に来るかどうかなど、取るに足らない話だった。ただ、海外業務に関しては住友が強いので、SMBC(スミトモ・ミツイ・バンキング・コーポレーションの略)という名前にした

p178.三井住友銀行内部でもいろいろと動きがあった。GSからの資本調達を耳にしたJPモルガンからも増資に応じたいという申し出があった。GSよりも少し条件が良かった。しかし私はそれにはあまり期待しなかった

p178.一連のタイトなスケジュールのなかで、いまさら増資先を変更したり増やしたりするような危ない橋は渡れないというのが私の結論だった。しかし行内では、よく討議したほうがいいという声が次第に大きくなってきた。JPモルガンを最も強く推すのは奥正之副頭取だった。理由はGSに集中させずバランスを取るべきだというのである。あまりに主張するので、GSと打ち合わせのためニューヨークに滞在していた奥副頭取とのテレビ会議で、私は「では、もうやめようか」と持ちかけた。「やめる必要はないではないですか。少し待ってみたら如何でしょうかと申し上げているだけです」「何を言っているんだ。これだけの増資をまとめてやってくれるところがどこにあるんだ。何が問題なんだ」「ですから、分散したほうがいいと申し上げているのです」「分散して何の効果がある? そうしたほうが、金額が増えるのか」「金額の問題ではありません。JPモルガンがせっかく言ってきているのですから可能性を探るべきではないかと」会議の時間はニューヨーク時間に合わせているから、深夜の1時過ぎだ。私は本当に疲れてしまって、「わかった。もうやめよう。やめて帰ろう。これ以上ここでこんな話をしていても仕方ない」と言って席を立とうとすると、奥さんが「待ってください。そういう話ではないんです」と遮るから、私は思わず語気荒く言い放ってしまった。「だったら、どういう話なんだ! 馬鹿野郎!」いま振り返れば、住友出身の奥さんがここまで強くJPモルガンを推すのは、旧さくら銀行側からのプッシュがあるためという面があり、GSがいけないというよりも、旧さくらの顔を立てる意味合いもあった。奥さんがそうした事情を汲んでJPモルガンを推すのは、私にだってわかる。条件が良いことも百も承知だ

p182.存続会社の事業規模のほうが小さいこの逆さ合併は、たしかに当時マスコミが書き立てたように、奇策であるかもしれない。できることなら私もこんなことはしたくなかった。平成創業のわかしお銀行の法人格を残すことで、明治28年創業の歴史と伝統のある住友銀行の法人格が消滅してしまったのだ。しかもこの手法は一度切りしか使えない。銀行が生き残るための”切り札”であり、文字通り名より実を取るやり方であった。ところが、この合併で思わぬところに問題が発生した。わかしお銀行が存続銀行になったため、イギリスの金融庁にあたるFSA(金融サービス機構)から行政指導を受け、SMBC英国が認可を取り消されてしまったのだ。現地法人がいくら説明しても、FSAは頑として首を縦に振らない。これはもうトップ交渉しかないと思った私はイギリスに向かい、イングランド銀行のロイド・ジョージ総裁を訪ねた。総裁とは旧知の間柄だった。私の顔を見るなり「よくおいでになりました。話は聞いています。FSAには私のほうから電話しておきますよ」と言ってくれ、非常に話が早い。しばらく旧交を温めたあと、その足でFSAを訪問すると、大変丁重に迎えてくれる。こちらがSMBCは何も変わっていない事情を説明すると、納得してすぐに認可をおろしてくれた

p187.事務方が書いてくれた草稿では、「スピードは競争力そのもの」と書かれている。それを私はボールペンで線を引き、「スピードとは他のどんな付加価値よりも高い付加価値だ」と書き改めている。そしてさらに、「ある支店で、『青信号、ゆっくり渡れば赤になる』という標語をつくったそうですが、まさに言い得て妙」と書き加えている

p210.今の大企業の経営者たちはどうだろうか。若い経営者の活躍を冷ややかに眺め、いまだに財界活動がお好きな経営者が多いが、いまどき財界内の仲間だけで話をしていったい何の意味があるというのか。その象徴のような存在が経団連だろう。経団連というと、日本企業のトップが集まって日本経済の行方を見据えていると思っている人がいるかもしれないが、実際は組織としてかなり硬直した部分があり、官僚ならぬ民僚まで存在している。彼ら民僚は経済人ではなく、経団連という組織のために働いているのだ。経団連の会長になるには、そういった民僚と戦えるだけの資質と多数のスタッフが必要となる。そんなにしてまで会長になったところで、いま経団連に日本経済を引っ張る力がどれほどあるだろうか。経団連はもはや無用の長物だと私は思っている

p214.あるとき私は「君は銀行を背負って立つ男だから」と言ったことがある。頭取と明言したわけではないが、宿澤さんは直感したらしく、張り切って仕事をしていた。仕事をし過ぎるくらいなので、「体を大事にしろよ」と言ったこともある。大阪本店営業本部長の頃から、毎晩毎晩お客とのお付き合いがあった。ラグビーで鍛えた体力を過信したのかもしれない。その日も接待があり、金曜日の夜遅くに大阪から東京に帰ってきて、翌早朝に起きて始発電車に乗り、さらに東京の大塚駅前支店で一緒だった登山仲間の車で赤城山に行った。その登山で山頂に至ったところで倒れたのだそうだ。頂上だからもちろん救急車など呼べない。携帯電話もなかなか通じない。やっと通じて群馬大学医学部の附属病院から救急ヘリコプターが山頂に着いたときには、すでに事切れていたという。本当に惜しいことをした。体力に自信があるからといって、どうしてあんなに無理をしたのか。悔しくてならない

p229.今さら言っても始まらないことだが、「なぜもっと早く手を打っておかなかったのか」と嘆息することが何度もあった。郵政のいろいろな事業にそういうところが見られるのだ。やはり官の事業というのは、本質的なところで改革意欲や競争力強化という意欲が乏しい。というよりも意欲がわきにくい体質や構造があるのだった。民間企業であれば競争に負ければ市場から退場させられてしまう。生き残りたいと思うならば、スピードをあげて全力で取り組むしかない。その点、官の事業には退場がない。一人ひとりの能力では民間企業以上に優秀な人が少なくないが、組織になると危機感は薄まり動きが遅くなり、せっかくの能力を生かせないでいた

p248.委員会の調査は徹底したものであったが、組織内部から反発が露骨に出てくることはなかった。当然、従来のやり方や構造が検証されるのだから良い気分であろうはずがないが、すでに法律で民営化が決まっており、そうなれば民営化を成功させなければ自身の仕事も危うくなるという危機感があったようだ。最も困ったのは人事担当者だったろう。OBの処遇をどうするかで新しい形を考えなければならない。しかし私は、だからこそなれ合いではなく、一般取引として正々堂々、競争入札の徹底が大事なのだと言った。随意契約を止め、正常な取引関係を築くことが、OBを受け入れてもなれ合いを生まない再就職先を確保することにつながるのである。公正で透明性の高い取引関係を維持できるのでさえあれば、OBが何人いようとかまわないのであり、そうした取引関係に変わることこそがOB福祉にもつながるのである

p252.郵便局の中でも同じで、職員同士が互いをチェックし合うのは互いを疑うことではなく、互いが間違いを犯さず業務を正確に行っているかどうかを確認し合うことなのだ。銀行では、外回りでお金や通帳、証書などをお客様から預かると、必ず複写式の預かり証を出す。店に戻ると、「こういうものを預かってきた」と並べて見せて、預かり証と照合してもらう。それをチェックしてはじめて一連の作業が終わる。しかし、郵政では、そうした作業は「水くさい」と考えられていた。職員同士はもちろん、お客様との間でもそうである。だからこそお客様は通帳を預けたままにするので、結局はコンプライアンスの欠如が犯罪の温床になってしまっていた。私は何度も何度も、口うるさい母親のようんい職員に訴えた。現場からは、「今度の総裁は細かいことをうるさく言う」とか「あの人にはかなわんな」などという声が聞こえてきた

p293.自分たちの出身母体に利益誘導をしようなどというケチな発想などまったくなく、そういうことをすれば結果的に市場の評価を得られないのだ

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