中島義道「働くことがイヤな人のための本」日経ビジネス人文庫

公開日: : 書評(書籍), 中島義道



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相変わらず身も蓋もなくずけずけと真理を吐く。どうしようもないことをしつこく、しつこく言う

仕事の成功は運のなせる技だし、どの程度の成功であっても長い年月の中では無意味。人間は、生ませられて、あっという間に死んでいくだけ。でもそれが大事

こういうのを読んで、毒抜きをやらないと日々の生活を続けていけないよ

特に集団生活が嫌だというのはすごく共感する



p6.こうしたブザマな自分の人生から学んだことは数限りなくある。第一に、真に自分が選んだことなら、その結果たとえ失敗したとしても、納得できるということ、何もしないより、恐れてそれから逃げることより、心はずっとすっきりするということである。実際にやってみて、その結果失敗することは、やらずに安全地帯にいることよりずっと価値がある。「あの時、Aをしていれば、Bをしていれば」という呟きはかき消えて、自分に対してごまかしのない健康的な人生を歩める。第二に、 (こちらの方がもっと「健康的」かもしれない)自分が選んだのだから、他人をも社会後も責めないで済むということである

p20.例えば、大学受験生のS君は毎日呟いている。自分にやりたいことは何もない。このアホ勉強なんか蹴飛ばしてしまいたい。だが、ここを通過しなければ、自分はこの国では知的人種として認めてもらえないのだ。自分は、そこにバカがうんざりするほどいると知っていながらも、知的社会に迎えられたい。知的エリートとして扱われたい。知的人間として尊敬されたい。それにはT大に受かることがいちばんだ。だが、その後の長い人生どうやって生きていったらよいのだろう? それからの人生の戦いに明け暮れるのか? そして、いつも勝つとは限らないのだ

p43.海外青年協力隊に参加するという道も、自衛隊も駄目である。私には、集団生活の臭いが少しでもするところは耐えがたいから。私が犯罪に走らない最大の理由は、刑務所という集団生活の罰が無性に恐ろしいためかもしれない

p46.だが、私が言いたいのは、このいずれでもない。もっと身も蓋もない真実である。すなわち、人生とは「理不尽」のひとことに尽きること。思い通りにならないのがあたりまえであること。いかに粉骨砕身の努力をしても報われないことがあること。いかにのんべんだらりと暮らしていても、頭上の棚からぼたもちが落ちてくることがあること。いかに品行方正な人生を送っても、罪を被ることがあり、いかに悪辣な人生を送っても賞賛される讃美されることがあること。そして、社会に出て仕事をするとは、このすべてを受け入れるということを、その中でもがくということ、その中でため息をつくということだ。だから尊いということ、これはなかなかわかってもらえないかもしれないから、これから言葉を尽くして語り続けようと思うが、私の言いたいことの核心なんだよ。われわれは実際に仕事をしてみることを「そのこと」のうちからしか、自分の適性はわからないだろうし、才能はわからないだろうし、ほんとうに自分のしたいことすらわからないだろうということ。つまり、「自分とは何か」はわからないだろうということである。日々の仕事に違和感を身に沁みて感じたからこそ、それからの転職も現実的な力となる。日々の仕事に不満を感じながらも、そこから逃れようとしないことのうちに、自分のかつての夢の「軽さ」もわかってくる。しかも、自分にふさわしい仕事をやっと見つけて、その中で自分のしたい事がわかったとしても、決して(いわゆる)バラ色の人生が開けているではないんだ。そこでもあなたは、またもや敗退する可能性は高い。しかし、それでも体ごと動いていることを通してしか、あなたが「よく生きる」ことはできない。

p54.同じように、引きこもりの者がみんなどうしようもない落後者であるわけではない。といって、彼らがみんな純粋で正しいわけではない。私がとくに、提言したいことは、怠惰な紋切り型の定式的な思考を警戒せよということだ。「納得したい! 」という情緒に引きずられるなということだ。このことはひたすら細部を見なければならない

p60.彼らが自分の成功物語を個人的な体験として語るだけなら、まだ無害である。しかし、彼らのうち少なからぬ者は、成功の秘訣を普遍化して語ろうとする。「こうすれば成功できる」という一般論を語ろうとする。じつはたいそうな天分とそれ以上に不思議なほどの偶然に左右されてきたのに、誰でも同じように動けば必然的に成功が待っているはずだと期待させる。それが実現できない者は怠惰なのであり、努力が足りないのであり、適性を誤っているのだと力説する。これは大嘘である

p61.わかりますよ。一握りの天才的な自己批判精神をもつ者を除いて、Bさんのように仕事において成功することは、その人の描く人生構図を単純にする。自然な自己肯定の裏には自然な「結果主義」があって、世の中の割り切れないことやぐちゃぐちゃしたこと切り捨てようとする態度がある。それはそれでなかなか颯爽としているのだけれど、人生のかなりの部分が見えなくなってしまう。何度でも言うが、とりわけ人生だたとえようもなく理不尽であること、この真理が見えなくなる。いや、自分で見えなくしているんだ

p64.だが、100歳をこえた老人に「長寿の秘訣は? 」とたずねても、満足な答えが期待できないように、「夫婦円満の秘訣は? 」という問いが、何の実質的な答えも導き出せないように、成功の秘訣をいくら読んでもあなたは成功しないであろう。成功するかもしれないという錯覚に一瞬落ちるだけである。仕事に成功する秘訣を私は知らない。それにもかかわらず、生きているかぎりわれわれは仕事しなくてはならない。まさにそのことを私は言いたいのだ

p120.認識論も存在論も倫理学も「死」にはまっこうから立ち向かっていない。いかなる人生論も幸福論も「死」をごまかして平然としている。事実は単純じゃないか。 「勝手に生まれさせられて、あっという間に死んでしまう」という不条理だ。これを解決するには、どうすればいいのだろう?

p125.だが、ある会社のパンフレットには騎馬戦の写真がある。私は寒気がしてくる。別の会社のパンフレットには楽しそうに歓声を上げてドッジボールをしている写真がある。私はこれさえなければと思い、恐ろしくてその会社をあきらめるのだ。仕事よりハードルになるのは、新人社員研修である。それは、皮肉にも私にとって越えられないものばかりからなっているのだ

p126.こうして、社内広報のあらゆるページが、私にとっては炎熱地獄のような光景なのである。みんな笑っている。みんな楽しそうである。肩を組んでハイキングをしている。運動会でパン食い競走をしている。社員寮では、ホールに集まってギターを弾いている。夏の保養施設、冬の山小屋、すべてが恐ろしい場所である。ああ、こうした生活さえなければ、この会社に入るのだが……。カインにつけられた印のように「敗残者」という印がはっきり見える場所はないものだろうか? 徹底的に暗く寂しいところはないものだろうか? 人生の敗残者ばかりが集まっている会社はないものだろうか? 死ぬことに怯えている人ばかりが集まっている会社はないものか? 生きることが厭だと言いつづけることが許される会社はないものか? 働くことはバカらしいと言いつづけることが許される会社はないものか? そんな会社はないのである。とすれば、こんな望み抱いている男は、どんな会社に入っても早晩挫折するに決まっているのだ。いや、面接試験ですべてを見透かされて確実に撥ねられるに決まっているのだ。そして、その通りだったのである

p130.だが、これほど人間関係を恐れつづけた私が口を酸っぱくして言いたいことは、こういう社会的不適応者が無条件に優れた人であるわけではないということである。普通人の感受性からずれていることは、大変な苦しみであるけれども、その人が苦しんでいるからといって、苦しんでいない普通人より人間として偉いわけではないんだ

p146.そんなときMさんは「お釈迦さまは誰もいないところでも説教した。誰もいなくなってもいいんだ」と言ってくれた。嬉しかった。変な塾長だと思った。彼は全然儲けようとはしなかったのである。だから、数年したら潰れてしまった

p182.すべての仕事は、もし死ぬときに「俺(私)がこれをした」と呟いて満足するとしたら、がらくたある。 「生きてきた、そしてまもなく死ぬ」ということは、こうしたすべての仕事を圧倒的に超えた価値をもっており、あえて言えばこうしたすべてを無限に超えた仕事である。とすると、死にぎわに、この真実を覆い隠すことは不幸ではなかろうか? 逆に、人生の最期に、みずからの仕事にまったくすがらずに、剥き出しのまま死の不条理を味わい尽くすことは「救い」ではなかろうか?

p183.真実がいかに耐えがたく過酷であろうと、それがまさに真実だから受け入れるということがましだと私は思うからだよ。言いかえれば、真実から目をそむけた幸福は、いかに快適でもとくに死の間際には御免だということさ。私たちは死ぬときこそ真実を知りたいのではないかね。真実をしっかりとつかむことこそ大切なのではないかね。私たちが偶然この世に生まれてきて、そしてすぐに死んでしまわねばならないことは、真実ではないかね。そして、恐るべき不条理ではないかね。そのことを、とりわけ死ぬときには、ごまかしてはならないのではないかね。ただ、おうおうにして仕事は、人生の不条理を、そしてその不条理が凝集する「死」を見えなくさせるんだよ。自分は戦後日本の復興に全力を尽くした、自分が日本洋画壇に新風を吹き込んだという人が、こうした仕事によってヴェールをかけられることなく、宇宙のただ中で独り死んでゆくという不条理を実感することは至難のわざだ。人間とは弱いものだからね。仕事に成功した人ほど、その仕事に過分の価値を置いてしまう。そこには、一つの錯覚がいつも忍び寄っている。いや、一つの錯覚を忍び寄らせている。それは、仕事によって死を幾分でも克服できるという錯覚だ。自分が死んでも、みんなから愛されているこの映画作品は残る。自分が死んでも、自分が孤軍奮闘して守ったこの緑の山は残る……という錯覚さ。ようく考えれば、残るのはわずかのあいだだけなのだ。やがて、みななくなるのである。人間は死ぬとずっと死に続けるのだ。 一億年経ってもその1一年倍経っても生き返ることはないのである。やがて、人類の記憶はこの宇宙から跡形もなく消えてしまうのである。たしかに自分の仕事は自分の死後数百年はもつかもしれない。運がよければ数千年もつかもしれない。しかし、それが何だろう? 宇宙論的時間のうちに置いてみるとき、いかなる仕事でも、自分の死後ほんのちょっとのあいだ長生きするだけなんだ。だから、こんなはかない綱にすがりつくのは錯覚なんだ

p187.数十年前に偶然この地上に産み落とされた。そして、いま死んでゆくということ、その荘厳さはいかなる仕事からも独立である。私はそのことを何度も言っているだけなんだがね





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