磯田道史「無私の日本人」文藝春秋

公開日: : 書評(書籍), ブランド



20130406002458





前評判が良かった。そのとおり、かなり引き込まれて、あっという間に読了した

このようなノンフィクション系の歴史物というのは久しぶりに読んだ気がする。実話を丁寧に書いているだけかもしれないけど、題材がよい。また、物語そのものをサポートする周辺事実の説明が面白い。メモを取ったのはそんなところばかりだ

また、当時の日本の美点、良い日本人の話があるので、司馬遼太郎のような爽快な読後感がある

3つの話がある。なかでも最初の穀田屋十三郎が、分量も多いし、いちばん印象的。穀田屋もそうだが、最初に仲間になる菅原屋も好人物だし、最後のほうでは本家の浅野屋が主人公のような持ち上げようで、どれも面白い。要は取り上げられた各人がみな主人公な感じだ。彼らは子孫がそれを自慢しないように、ということを家訓にしており、いま話をしてもそんな抑制された感じらしい。ここまで周りが語ってくれるから、本人が黙るほど味がある。ネットで探せばそれっぽい酒屋さんとか出てくるんだけど、いまは何の変哲もない普通の商店っぽいんだけど。

残る2話も穀田屋には劣るものの、それぞれ退屈させない魅力を持たせている



穀田屋十三郎

p28.江戸時代は、――徒党 というものが、蛇のごとく嫌われた。お上の許しなく、3人以上がひそかにあつまり、ご政道について語れば、それは徒党であり、謀反同然の行為とみなされる。徳川三百年の平和は、大名から庶民にいたるまで、将軍に支配されるものが、横につながって、なにがしかを企てることを徹底して禁じることで成り立っており、江戸時代、「党」という言葉は悪事にちかあいひびきをもっていた。三百年、党を組まぬように、しつけられてきたこの国民が、明治になって、政党の政治というものを、うまくのみこめなかったのは、至極、当然のことで、それはのちのちまでこの国の政党政治をみすぼらしいものにした

p34.徳川時代の武士政権のおかしさは、民政をほとんど領民に任せてしまっていたことである。その意味で、徳川時代は奇妙な「自治」の時代であったといっていい。大名家(藩)というのは、もともと軍隊であり、民政のための組織ではない。農村に武士を送り込んで「庄屋」とし直接支配する方法もあったが、薩摩藩などをのぞいて、そのような方法はとられなかった。そんなことをすれば、百姓の抵抗が予想された。武士政権にすれば、年貢さえおさめてくれれば、よかった。あえて農村の瑣事に立ち入る必要はなく、また農民の側も立ち入られたくなかった。それが徳川時代はじめのこの国の雰囲気であり、武士政権と農民の双方が折り合いをつける形でできあがったのが、――村請制――庄屋制 この2つの制度であった

p56.菅原屋は、すまし顔でいった。「なあに、こういうときは、人が驚くような宝から質に入れるものよ。そうすれば皆が本気になる」

p73.「役所では、脇々にその例があるかが、肝心である」藩の役所は事なかれ主義で動いている。その行政は受け身なもので、村々から願い出がないかぎり、たいてい新規のことはしない。もし、下々の者が、何か新しいことを願い出てきたら、先例を調べ、脇に似たような事例がないかを、とにかく吟味するのだという

p77.江戸時代、とくにその後期は、庶民の輝いた時代である。江戸期の庶民は、――親切、やさしさ ということでは、この地球上のあらゆる文明が経験したことがないほどの美しさをみせた。倫理道徳において、一般人が、これほどまでに、端然としていた時代もめずらしい

p81.「いくら出せばよいのか」ときいた。それへの平八のこたえが、おもしろい。まるで、早坂屋の主人になったかのような大きな態度で、腕を組みながらこういったという。「そうですな。だいたい、あなた様のご身分では、五六百貫文といったところでしょうな。それぐらいは出さねば、出費の仲間には入れてもらえますまい。なにしろ、みな家財・衣類・妻子までも質に書き入れておられるのですから。浅野屋さんなどは着物がすっかりなくなって、着たきりスズメになっておられるとか。ご身代が少々痛むぐらいでなくては、話になりません。それぐたい出さねば、世上の取沙汰も、ご身分ご相応のお骨折りということには、なりますまい」

p82.江戸という社会は、日本史上に存在したほかのいかなる社会とも違い、――身分相応 の意識でもって保たれていた。身分というものがあり、人がその身分に応じた行動をとる約束事で成り立っていた社会である。その開祖、徳川家康は「味噌は味噌臭きがよく、武士は武士臭きがよし」という言葉を好んだ。とうするに「身分に応じた振る舞いをせよ」ということである。武士が見事に腹を切るのも、庄屋が身を捨てて村人を守るのも、この身分相応の元林に従ったものであり、この観念は、江戸時代における最も支配力の強い人間の行動原理であった。身分相応の行動をとるのが、あたりまえであり、それに従わぬものは、世間から容赦なく、卑怯者、無道者の烙印をおされ、白眼視された

p98.江戸時代は、かつてないほどに、行政の手続きを、ややこしくした時代であった。人類史上、これほどまで、わざとのように、行政書類を煩雑に処理する社会もめずらしい。それには、戦いがなくなった時代に、武士が多すぎたことも関係していた。戦国末期、日本という小さな島国における武士(大名家中)の人数は、ふくれあがった。おそらく、秀吉の朝鮮出兵時がピークで、人口が千数百万しかいないところに兵力五十万、家族も入れれば百万を優にこえる巨大な軍団を生み出してしまった。一度、ふやしてしまった武士は簡単には減らせない。江戸時代、平和の世になっても、このふくれあがった、無為徒食する武士人口を、この国は、かかえこむことになった。武士の世界は人が余っている。「相役である」と、一人でできる役職を二人以上で担当させ、多くの武士を役につけた。また、「月番である」と、わざわざ月当番にして仕事を回した。「そのほうが、権を専らにする者が出でぬ」そう信じられた。この武士の世界では、誰かが突出して権力をふるうことを極端に嫌った。主君以外の何者かが専権をふるうなど、以ての外であった。だから、個人ではなく、かならず、複数の人間で物事をきめ処理した

p104.大名の行政処理は、元禄ごろまで、これほど遅くはなかった。17世紀までは、日本の「大名家中」は戦国の戦闘集団のにおいを失っておらず、動きは機敏であった。役所の手続きも複雑化しておらず、法度よりも人の裁量ですばやく動いていた。が、泰平の世になるにつれ、それがかわった。藩の行政機構は、人数だけが肥大化し、悪くいえば、空虚な伝言ごっこのごとくになった

p133.「はやく、再度、嘆願を出せ」といい、その文面について、手取り足取り指南しはじめた。代官が役所での評議内容を、百姓に打ち明けるのは、異例中の異例である。藩というものは役所内の情報を、領民に徹底してもらさぬ、ということでできあがっている。その意味でも、この橋本という代官は、奇妙な男であった

p153.甚内は、はっきりと仙台藩のことを――不埒 といった。領主つまり殿様のことを「不埒」と言い切った百姓は、この男ぐらいであろう

p164.藩主は、浅野屋と共に書をかいて清遊してみたかったのである。自ら筆をとって、なにやら、したためはじめた。霜夜 寒月 春風と、三行書いてあった。「そのほうらは酒屋であろう。これをもって酒銘とせよ」そう言い残して、この最高権力者は去った。――浅野屋の酒は殿様が名付け親 大変な評判をよび、酒は飛ぶように売れた。それで結局、浅野屋はつぶれずにすんだ

中根東里

p175.当時、日本で唐音を学べるところは2か所しかない。ひとつは唐人屋敷のある長崎、もうひとつは、宇治の黄檗山萬福寺である。黄檗山はすべてが中華の小宇宙であった。黄檗の宗祖、隠元は明朝が滅亡するなかこの国に渡来してきた。異民族に本国が亡ぼされる非常事態のなかからの脱出であったからであろう、彼は中華のすべてを渡来船にのせて東の島国に運んだ。まさに方舟といってよかった。その方舟には20人ばかりの中国僧が乗っていた。大工や左官もいた。それだけではない。料理人もいれば、食膳や作物までそっくり持ってきた。隠元豆はよく知られているが、植生までそっくり故国を再現しようとした。黄檗では周囲の竹まで植え替え、中国の孟宗竹の竹やぶとした。そういうところであったから、宇治の黄檗山は日本のなかの小さな中国といってよかった。そこではまさしく唐音が話されていた

p177.そもそも、東里は禅寺に入ったのがよくなかった。僧籍にあって書物を読むなら、ゆるい宗派がよい。いうなれば、――浄土宗 である。この宗門は古来もっとも検束がゆるい。ばくち場をひらいて寺銭を稼いだり、遊女にいれあげたりして、身持ちをくずす不心得者もいたが、一方で、詩文に心をよせる学識ある僧も少なくない

p227.当時の儒者の講義といえば、道を説いているというよりは、書物のなかの字句を解説しているといったほうがよかった。書物を冒頭から逐条に解いていき、それで束脩(月謝)を稼いでいた。ところが、東里は、本は全部読まなくてよい、と、言った。須藤はそのことがよほど強烈であったのだろう。30年以上たったあとでも、その講義をしっかりと憶えていた

大田垣蓮月

p281.知恩院はおおらかな寺である。子連れでの出家は奇異のようにも思われるが、この寺では許された。それどころか、ここでは僧がしばしば女を寺内においた。この事実上の妻のことを隠語で「大黒はん」という。知恩院にも大黒はんをもつ僧がめずらしくなく、老中がきまじめな松平定信になってから、突然、この大黒はんの取締りがなされて大騒ぎになったが、それも一時のことで、ほとぼりがさめると、またもとに戻った

p323.西郷のそういう考えを変えたのは、蓮月であったろう。東海道を下るなかで、西郷の思想が変じたのはたしかであった。――江戸城総攻撃 いまのところ、これを慎重に回避したのは、西郷や勝海舟や山岡鉄舟の功績になっている。しかし、江戸を火の海から救ったのは、蓮月という一女性の、まともすぎるほど、まともな感覚であった

p326.「蓮月さんは活きた神様でした……。蓮月さんが亡くなられたとき、私も父もひざまずいて会葬しましたが、その時、神光院から墓所まで二、三丁もあったようでしたが、忘れませんことは、村中の者が、子供から年寄りまで、みな声をあげて泣きました」





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