花村萬月「父の文章教室」集英社新書

公開日: : 最終更新日:2012/02/10 書評(書籍), 文章術/レトリック



実は、氏の小説は一つも読んだことがない。気にはなってはいるんだが。この本を最初に読んだということは、氏の著作に今後接するときにどのような効果を及ぼすのだろうか


内容は面白い。子育てや自分の文章術で興味深い記載がある。ただほとんどは本人の私的なことなので、人の参考にはならない


宗教に関する部分の表現方法や、主語をなるべく省略するような書き方は気に入った。また、漢字に対する考え方、音読など、音楽や絵画と連係させて説明するところが多く、そっち関係の教養を高めたいという気にさせられる


次は氏の小説を読み始めるということだろうか




p30.醒めた見方をすれば、たまに会う我が子は、それなりに可愛らしいものでしょう。私も子供と対していると、正直なところ15分くらいはとても可愛いと感じます


p35.苦しいときほど父があらわれる。そして、ここが重要なのですが、私は肉体的にも精神的にもつらいときにこそ、父に対して勝利宣言を行っているのです


p50.父は妹を覗きこんで「産まれたか」とだけ呟いたそうです。それから母がどのような対応をしたのかはわからない。語ろうとしなかった。ただ目に涙をいっぱいにためて、泣き笑いの表情でした


p64.私は、いまでも社交的な性格ではありません。人見知りはいまだにひどくて、見知らぬ人に道を尋ねることができないほどです


p74.子供に英才教育、早期教育を施すことの是非など私にはどうでもいいことです。いくら良い親を演じてみたところで、所詮は、子供は親の持ち物にすぎないのです。ですから、子供に英才教育を施すならば、それは自分の満足のためである、と、冷徹に認識してください。子供の将来のためだからといった偽善と欺瞞を用いると、英才教育は絶対に失敗します。断言してしまいますが、偽善と欺瞞でスタートすれば、それは英才教育というよりも、家庭内暴力の芽を育てているようなものです


p93.以下は重要なことですから、できるならば太字にしてしまいたいところですが『小説とは、活字の大きな中学生用国語辞典の語彙のみで成り立たせることができるもの』なのです


p96.私は生まれてこのかた新聞というものをいちども購読したことがありません。でも、世の中の流れはだいたい掴めているつもりです


p114.私は小学生の時分に『静か……青い争い』と呟いてうっとりしていたのです。厳密な字義など私にとってはどうでもいいともいえる。詩が宿っている文字こそが、私にとってすべてであり、漢字を単なる記号と捉えている詩情に欠ける人は、頭がよいといわれていてもたいがいがハードディスクのようなもの、記憶力に特化した哀れな、しかも創造性に欠ける人物が多いようです


p115.なによりも好ましい作品は、音読するにかぎります。いつまでも私が音読する場合は、その作品に対する敬愛がそうさせるのです。頭の中にしずしずと言葉が響く読書の快感を、あなたは知っていますか


p122.私は母方の祖父の家に遊びにいって泳いだ秋川の水の中を描きました。水中めがねをつけて潜った秋川は、緑色をしていました。ところが教師は一瞬なにが描いてあるのか理解できずに、私が川底に潜ったところだと解説すると、水は水色だろうという教師にあるまじき、いや、いかにも教師然とした言葉で私を笑いました。悄然とした私が家にその絵を持ち帰ると、まず母がその絵を見て、水の中の色がよく描けていると頷き、さらに父は論理的にあれこれ語り聴かせたあげくに、その絵を大層褒めてくれ、私の頭を撫でてくれた


p131.そのときには聖堂で淡々と聖歌を歌っていました。これは我ながら不思議です。神の力、ですか?


p159.ゲラと呼ばれる校正刷りに手を入れているときにときどき困惑を感じるのが、主語の有無を指摘してくる校正者のことです


p159.主語の存在は丁寧な道案内のようなもの、ゆえに文法上の誤りがなければよいというスタンスでいたのですが、削ることのできる描写は、極力削除するように努めはじめました。漢字の力を信じるとでもいえばいいでしょうか。無数の言葉を並べあげるよりも、省略こそが日本語による描写の美の本質であると考えたのです


p193.カトリックが嫌悪するのは、偽善です。施設のなかのあちこちに、三位一体を示す三角のなかに凝視する目が描かれた<神は見ている>という標語が貼られていました


p193.私が神を信じているかといえば、微妙なところです。存在についてを思考するときにある超越した存在を仮定すれば、ちょうど方程式の解のように便利であるので、そういった意味では措定的に神という存在を用いる場合もありますが、実際のところは人間の思考の延長線上にある神という概念を信じてはいません。ゆえに私は洗礼を受けはしましたが、キリストや御父や精霊を信じていません。その他諸々の人間がつくりだした神も信じていません。けれど私の思惟など及びもつかぬ、あるいは私という存在などは本質的にまったく無関係に在る超越を信じていないといえば、嘘になります。超越の否定は、私という存在自体の否定になってしまうからです


p196.何らかの宗教に入信せよと言っているのではありませんから、誤解なきよう。宗教団体というものは下劣でチープなものです。宗教心は哲学する心とともに個の内側にあればよいのです


p217.私を例に強引にまとめあげれば、小説家という職業は高等教育とは無縁にあること、それどころか義務教育さえも不要であるということができるでしょう。第130回芥川賞を受賞した金原ひとみさんも義務教育とは無縁だったようです。父上が翻訳家であるということも、どころなく私の環境に近いものを感じます


p217.とりわけ絵画的能力は必須でしょう。ここで私があれこれ述べあげるよりも白川静先生の名著<漢字百話>を読んでみてください。言語と視覚は対立するものではなく、お互いに密接に絡みあっていることを、導入から解き明かしてくれます


p219.この万能性からくるものでしょうか、言語にはいつもある寸足らず感とでもいうべきものがまとわりついていることも、実作者の実感としてあることを告白しておきましょう。これは言語は本質自体たり得ない、という単純な事実からもたらされるものなのですが。言葉は音楽を説明できるのですが、説明できるだけで、決して音楽が聴こえるわけではない、ということです




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