宮城谷昌光「新三河物語 上巻」新潮社

公開日: : 最終更新日:2012/02/10 書評(書籍), 宮城谷昌光



徳川政権の立ち上がりに昔から興味があった。しかし、そういうものを読んだことはなかった。何十巻にもなる小説を読めばいいのかもしれない。昔、知恵伊豆の本を読んだこともあったが、それは少し時代が下る


hiog: 中村彰彦「知恵伊豆に聞け」実業之日本社


大久保家というのもときどき聞いて興味を感じていた。そういうところへ、「晏子」や「楽毅」などを読んでいた宮城谷昌光による本著を知ったので読んでみた


内容的には家康が今川から独立し、一向一揆を抑えるところまで。戦後時代に対する予備知識がないとなかなか読み進めないのではないかという気もする。個人的には今川からの独立の経緯をもっと知りたかった。次には、本多正信がどのように帰参するのかが楽しみ


ただ、まだ上巻だが、どうも、これまでの氏の本のイメージとは違う。どうも読み進めにくいというか、スカッとしてこない。もうすこし読み進めていく




p54. 酒井の本家は、伝承から、松平家とは兄弟の家であるという意識を持っているので、松平家への会釈は常に軽い


p121.宇都野氏は大久保氏と先祖が同じで、今は姻戚という近さにないが、遠い親戚である


p126.ちかごろ自分に向けられる家康のまなざしに冷えがあるように感じられ、ますます前途が昏くなった。「いっそ、他国へゆくか」と、ため息をまじえて弟の正重と語っているときに、本證寺から使いがきた。「一揆か――」


p129.にわかに正信の目つきが険しくなった。「大久保家は、いまの殿に厚遇されているか。先代の道幹(広忠)さまが、後嗣の位を失って、他国をさまよいながら、奇福によって帰城できたのは、ひとえに上和田の常源どののお働きによる。しかるに道幹さまは、旅次つねに左右にいた阿部大蔵に、政事をおまかせになり、常源どのを遠ざけた。忘恩の主家というべきではないか。いまの殿も同じで、酒井家については雅楽助を重用し、本多家に関しては彦三郎に目をかけている。大久保家もわが家も、殿の眼中にはない。やがて両家は、犬馬のごとく酷使されて、棄てられる」この正信の言説は、なかば正しい


p134.むすかしい立場に追い込まれた大久保党は、実際に信孝を討つことで、広忠への忠義をみせねばならなかった。内訌の愚かしさと悲しさを常源は痛感した


p150.常源はあらためて地面の文字を凝視しつつ、なにゆえ新八郎はおどろかぬ、とつぶやいてから、「五郎右衛門よ、わが家が大久保の宗家であるのは、そなたまでであろう。この文字を書いたのは平助であるというより、日蓮上人である。上和田砦を上人がお守りくださるというお告げなのだ。それが新八郎には分からぬ。よいか、この文字を人の足に踏ませるな」


p184.家康は忍耐の人である。田原御前のけなげな忍耐は分かるし、忠次の苦行にひとしい忍耐もわかる。絶望的な忍耐をつづけてきた者に、わずかでもむくいてやることのできる主君でありたい、と家康は意っている。人の貧困につけこんで利益を得る門徒のありかたは、言語道断である。とにかく田原御前のためにも、田原戸田家を再興させてやりたい。その家は、岡崎松平家の縁戚になる。これが家康と家を強固にする閥族のつくりかたである。むろん家康はそういう心の向きをまったくみせず、「良籌があるときいた。申せ」と、みじかく問うた


p194.そういうけわしい体貌をもつ久世家に、四郎右衛門の優しさだけがはいってゆける、ということであろう。四郎右衛門は戦場が不似合いであるが、戦場の外で人を活かすことができる。それも異能というべきであろう


p209. 「つらい、戦いです」忠世はそういっただけで、家康批判は避けた。いま家康の敵となっている者たちの過半は、祖父の代から、いのちがけで、岡﨑松平家のために尽くしてきた。家康が勝てば、それらの家は消えてしまう。あるとき突然家康が、法華の宗徒はけしからぬ、といえば、大久保党はどうなるであろうか。その種のことは、宗教問題に限ったことではない。政体の成長あるいは変移によって、積み上げてきた忠誠が無にされてしまう。それを想うと、家臣にとって主君とは、恩徳の源でありながら、いつなんどき害毒に変わるか分からぬ存在であるともいえる


p214.こういう争臣を包含してゆくほど許容量の大きな家は、どの国にもないであろう。将監が中国の比干や箕子のように不朽の名を得られないのは、主流に敵対した者を歴史的に活用できない日本の文化的あるいは政治的矮小さといってよいであろう。哀しいことに、将監は叛臣でしかない


p218.家康をおそれるがゆえに、兵略が要るのである。ところが三河者の粗雑さはどうであろう。戦場にゆかなければ勝敗は分からず、勝とうが負けようが退かずに戦うだけである。正信にいわせれば、「戦場にゆくまえに、勝てるように、すこしは頭をつかえ」ということになる。門徒衆は圧倒的に数は多いが、兵略がなければ、その数の多さを活かせない。この岡﨑攻略も、練りが足りず、家康に逆手を取られる危険さえある


p294.青山虎之助長利の子の定親は、姉川の戦いで死に、その子の定長は、長久手の戦いで討ち死にし、その弟の定義は、小田原攻めの際に重傷を負ってほどなく亡くなった。家康の栄位勢利は、こういう忠死の累積の上にある


p324. 「あっ」と、顔をあげた門徒衆は、ここで喜躍したい気持ちをおさえて、いっせいに平伏した。ここから一揆は急速に鎮静へ向かった。家康の生涯には数えきれぬほどの難所があるが、一向一揆との戦いもその一つであり、それをここで乗り越えた。後に織田信長が一向宗徒と凄惨な戦いをながながと続けることを想えば、この家康の切り抜け方は奇跡的である。むろん調停をおこなった常源の功は大きい


p347.「いや、賞功はあったさ」忠世は意味ありげに微笑した。「たれが、どのように――」忠佐は眉をひそめた。「殿が一騎で駆けつけてくださった日に、殿は、なんじどもの恩を、七代、忘れぬ、と仰せになったではないか。あれにまさる恩賞があろうか。たとえ不肖の子孫が出ても、大久保家はお取りつぶしにならぬ。ありがたいことではないか」「あれは――」修辞にすぎない、と忠佐はいいたい。家康は砦内で起請文を書いて常源や忠世にさずけたわけではなく、また、家康が亡くなり、その子孫が百年後、二百年後に、そのことをどうして憶えていられようか。そういいたい忠佐の心の声を、忠世は聞き取ったかのように、「言葉は、紙に書かなければ、後世まで遺らぬというわけでもあるまい。殿のお言葉は、天が聞き、地が聞き、人が聞いている。むしろ起請文より永く遺る。とにかく、罰せられぬことは、賞されることにまさる」と明るく信念をいった。「なるほど……」起請文のなかなさを知り抜いている忠佐は、兄の高見にうなずいた




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