中西輝政「日本人として知っておきたい近代史(明治編)」PHP新書

公開日: : 最終更新日:2011/09/19 書評(書籍)



誤植の目立つ、雑な作り。内容との関係では十分に買いの一冊。新書だし


大学受験のときに、近現代史はかなり勉強した方だが、単なる事件や人物の羅列だったのだと反省しきり。逆に、昔、受験勉強で単語だけでも覚えているからこそ、それを骨として肉付けするにはいい本だ


危ういおもしろさ。渡部昇一の語る日本史のようなそれ




p16.607年、聖徳太子は小野妹子を使者として「日出る処の天子」で始まる有名な国書を隋に送りました。このとき、「仏教立国」を国策とした太子は、中華王朝との関係においても仏教という普遍的原理を前面に押し出すことによって、中国皇帝の臣下としてではなく、対等な立場での外交を可能としました


p19.70年の長きにわたった南北朝動乱の原因は、表面的には足利尊氏による幕府が運営する政治と、後醍醐天皇による天皇親政(「建武の親政」)との対立のように思われがちです。しかしその背後には、「上手な政治」と「正しい政治」とのぶつかり合いというこの国のあり方を巡る本質的な問題があったのです


p31.天明2年(1782)から始まった「天明の大飢饉」は、幕府が有効な手立てを打たなかったために民衆の怒りが爆発して、全国で百姓一揆や打ち壊しが発生。当時の幕閣に大きな衝撃を与えました。一方、その頃から、幕府に失望した人々の期待は朝廷に向かいます。天明7年(1797)、光格天皇の在位中、御所の築地塀の周りを毎日数万の人が何度も巡り歩く「御所千度参り」という出来事が起こりました。未曾有の自然災害に苦しんだ民衆は生活苦からの解放を求め、突如として、天皇が「神の子孫」であることを神話、つまり「民族の記憶」の中から思い起こして、天皇とこの国の神々に対し、かつてない切実な祈りを捧げたのです


p38.最終的に松陰が達した結論は、この国の未来を守るためには、一見、もっとも「迂遠」と思われるものでした。松陰は、既存の社会の枠組みにとらわれない若者たちを集めて「教育」し、彼ら少数の自覚的分子が「決死の行動」を起こすことにより――これを「草莽崛起」といいます――必ずや広範な人々がともに立ち上がり、新しい時代を迎えることができるはずだと信じたのです


p42.そもそも近代とは何か。まず押さえておかなくてはならないのが、近代とは、権力を「戦場」における勝利ではなく、あくまで「会議」の中でつかむ時代なのだということです。そこでいかなる議論が戦わされ、誰のどのような主張が通ったのか。それが、国運を左右することになります。したがって、明治維新を切り拓いたとされる「戊辰の戦い」も、実は会議の場で「錦の御旗」をとったほうが勝に決まっていたといえましょう


p52.この小御所会議つまり「御前会議」は予想されたとおり、紛糾を極めます。そしてそのとき、「公議政体派」の山内容堂は、このような重要な会議に慶喜が呼ばれていないのはなぜか、と岩倉たちに詰め寄り、彼らに対し「幼冲の天子を擁して権柄を盗もうとするものだ」と思わず決定的なひと言を口走ってしまいます。すると、すかさず岩倉が、王政復古が成った以上、「今日の挙はすべて宸断(天皇の決断)によって行われている。幼冲の天子とは何事であるか。非礼であろう」と叱りつけたのです。ここから、勢力の優劣が逆転してゆきます


p63.長州軍大勝利の陰には、伊藤の隠れた働きがありました。前年秋、伊藤は長崎のグラバー商会から、ミニエー銃四千挺を買い入れていました。最新式の銃で装備した近代長州軍の前に、旧式装備の幕府軍はなすすべもなく敗れたのです


p67.伊藤は、大蔵省の権限拡大を訴えながら、他方で省内の各局各課の責任体制と監視体制を厳密にする必要性を強力に説きます。これは、強化された職権の乱用を防ぐためで、特に伊藤は「財政の透明性」を維持するために、出納簿作りに情熱を傾けました。議会政治が始まることを見越していた伊藤は、将来、議会に対して厳密な会計記録に基づく説明責任を担保できるよう、記録をきちんと残すことの大切さを考えていたからです


p78.戦後教育では、明治憲法は戦後の日本国憲法に比べて、民主主義の名においていかに遅れた憲法であったかということばかりが強調されがちです。しかし明治憲法は、同時期のヨーロッパ諸国の憲法と比べても遜色がないほど進歩的であったことを、伊藤と明治日本の名誉のために断っておかなければなりません。実際、自由民権派でさえ明治憲法を「おおむね良い憲法」と歓迎したことは、戦後はあまり語られなくなりましたが、事実だったのです


p80.明治33年(1900)9月、伊藤は旧自由党員を糾合して「立憲政友会」を結成、そして自らその初代総裁に就任しました。この伊藤の行動に対して、他の元老たちが――山県有朋はその最たる者ですが――「裏切り者」扱いしたのは、当時、政党はすべて藩閥政府に敵対する存在、としか見なされていなかったからです


p90.そもそも「皇道派」と「統制派」の2つの派閥は長州閥に対する反発から生まれたもので、元はといえば、山県があまりに露骨な藩閥偏重人事を貫いたことが根本的原因でした


p117.敵対する勢力がいても自らニコニコしながら近づいて、相手の肩をポンと叩いて対立感情を和らげてしまう


p119.桂は開戦直後、早くも心労から胃潰瘍を発症し、一時は生命すら危ぶまれることになります。「ここで桂を失うのは国家の危機だ」と心配した元老の伊藤や山県は、新橋の芸者・お鯉(安藤照子)にまとまった金を渡し、桂の世話をしてくれるように頼みました。桂は、「長いやもめ暮らし」を送っていたからです


p120.当時、日本が海外で起債に成功したのは、一般的に高橋の手柄とされていますが、それは「神話」に過ぎません。高橋は『自伝』のなかでこう記しています。「いくつかの“偶然”に導かれて、英米の有力な投資銀行家と出会い、起債に成功した」。しかし、“偶然”を装って交渉相手に近づくのは、「マーチャント・バンク」(大口顧客を相手とするイギリス特有の金融機関)のビジネス流儀の一つにすぎず、裏では桂が必死の働きかけを行っていたのです。桂は幕末以来、イギリスの金融資本と仲が深い元老の伊藤や井上馨、やはり長州出身の大蔵大臣・曾禰荒助らとスクラムを組んで、海外での高橋の活動がうまくいくように八方へ手を回していたのでした


p124.明治天皇が桂のこの視察旅行にいかに期待をかけられていたかは、桂の出発に際し、一万五千円(現在の約2億円)もの大金を下賜されたことでもわかります。「戦後、欧州から社会主義などの新しいイデオロギーが日本に流入する中で、いかに立憲政治を護持するか。また、いかに軍部の膨張を抑えるか。そのためには、一刻も早く二大政党制による健全な議会政治を実現すべし」。こうした桂の理想を誰よりも理解していた人物こそ、明治天皇だったのです


p134.熊本鎮台の司令長官だった谷干城は、加藤清正以来の貴重な城郭遺産を取り壊すのを躊躇し、放火の命令を出していませんでした。それが、戦端が開かれる直前、あまりにもタイミングよく“突然の失火”で天守閣が焼け落ちたものですから、「これは児玉少佐(当時、熊本鎮台参謀副長)の仕業に違いない」と疑われたのです。結局、真相は不明のままですが、「児玉なら、やりそうだ」というわけで、果断な合理主義と奇策を好む児玉の人物像を語る際に、よく引き合いに出されるエピソードです


p136.一つは、戦争開始直前まで開通していなかった広島-宇品港(現広島港)間の鉄道を突貫工事で完成させたことです。そのやり方も、民間業者にあえて「清国との戦争間近」という機密を漏らし、戦時輸送にまつわる利権を餌に、不可能と思われた短期間での工事を約束させるという、手荒なものでした。もちろんこれは軍紀違反ですが、目的のためにはどんな手段を使っても必ずやり遂げるのが、児玉という男がもつ恐るべき資質なのです


p140.いちばん典型的なのは、明石元二郎による帝政ロシアへのインテリジェンス(諜報・謀略)活動への極秘の出費でした。すでに明治35年(1902)、日露戦争の不可避を覚悟していた陸軍は、明石を「駐露公使館付」として露都ペテルブルクに送り込み、レーニンら反政府の諸政党の要人に接触させて、ロシアを内部から崩壊させる秘密活動に従事させています。しかし、それに要した金は膨大な額であり、ときには一回の送金が現在の金額にして数億円に上ることもありました。陸軍の予算だけでは、とても賄いきれません。そこで極秘裏に、その活動資金を捻出していたのが、ほかならぬ台湾総督としての児玉源太郎だったのです


p151.「あそこにいる日本兵が、この砲弾と一緒になって二〇三高地を取るんじゃ!」あるいはこのとき、児玉は「人間」であることをやめ、「鬼」になっていたのではないか。そうとしか思えぬほど、このときの児玉の姿には鬼気迫るものがあり、それに接した第三軍の砲兵たちもまた「鬼」となって、泣きながら砲弾を撃ち続けたといわれます


p160.アメリカにあった小村は、「恩師死す」の悲しみを乗り越えて勉学に励み、明治11年(1878)、ハーバード大学の法学部を最優等で卒業しました。これは、現地のアメリカ人をすべて抑え、日本人として空前絶後の快挙といってよいでしょう。しかも、頭脳抜群なのはもちろん、この頃の小村には「サムライ」としての威儀が自然に備わっていたのでしょうか、彼に対しては、構内ですれ違うアメリカ人の学生の誰もが一々帽子を取り、敬意を表していたといいます


p167.そもそも地政学的見地からいえば、伊藤ら元老世代が唱える「満韓交換」は最初から実現の見込みのない幻想でした


p172.金子は母校ハーバード大学のサンダース講堂に詰めかけた満員の聴衆を前に、日露戦争における日本の正当性を訴え、さらに黄色人種が白人に災いをもたらすという「黄禍論」に対し、徹底的に反駁しました。「黄禍論」は日本の印象を貶めるために、当時、ロシアがアメリカで精力的に行っていた反日プロパガンダだったからです。金子の演説は聴衆の大喝采を浴び、金子は予定時間を大幅にオーバーして演壇を下りました


p173.このとき、なぜ金子がこの国運をかけた大役に選ばれたのかについては、確たる説はありません。人口に膾炙しているのは、金子がルーズベルトとハーバード大学で同窓だったから、という説ですが、これは「誤伝」です。5歳違いの2人が実際にキャンパスで顔を合わせていた可能性は低く、知り合う機会を得たのはもっと後年のことです


p176.日本政府が交渉でロシア側から大きな譲歩を勝ち取るのは不可能と見られていました。しかしそうなれば、これまで多大の犠牲や戦費の増大で困窮に耐えてきた国民の恨みを買うのは必至です。それだけに、元老たちはこれまで苦労して築いてきた自分の名誉ある地位をなげうってまで、損な役回りの首席全権などは引き受けたくなかったのです。こうした元老たちの尻込みを見て、小村は、まさにその「火中の栗」を拾うべく、敢然とそれを引き受けたのでした。それも、やはり彼のもつ「武士のエートス」ゆえだったといえるでしょう。繰り返しになりますが、国家の危機に際して、このような人物が必ず現れたことこそ、明治という時代を日本史の中でひときわ輝かしいものにした最大の要因だったと思います


p179.しかし、ここから、小村は、賠償金と樺太割譲を求めて粘りに粘るのです。そこには国内世論への対応とともに、日本が「戦勝国」であることを世界に示すには、賠償金か領土の割譲をロシアから勝ち取ることが不可欠だ、とする強い決意がありました。当時の世界常識として、それこそが「戦勝」の証とされていたからです


p180.ところが10月、大任を果たして帰国した小村を、国民は誰一人として歓迎しなかったばかりか、「ロシア側に大幅に譲歩した」として、“国賊”呼ばわりする有り様でした。帰国直後、小村には身の危険すらあったため、彼が新橋駅に到着すると、桂首相と山本権兵衛海相が小村の両脇をしっかり挟んで歩みを進めました。小村を銃撃する不逞の輩があれば、ともに斃れん、との覚悟だったといわれます


p181.ルーズベルトのこの仲介外交は、アメリカが「世界大国を目指す」という意思表示でもあったのです。いいかえれば、このとき、日本とアメリカは太平洋を挟んでほぼ同時期に、「世界大国の座」を目指して歩み始めていたのです


p183.戦後日本では、このとき小村がハリマンの申し出を受け入れていれば、後年、中国大陸で日米の対立は生じなかった、したがってこのときの小村こそ「日米開戦の原因を作った人物」という議論が時折見受けられます。しかし、小村は確かにハリマンの申し出は拒否しましたが、一方で、ハリマンとは違い鉄道の所有にはさして関心を持たない米モルガン系の金融財閥から資金を調達するメドをつけていました。小村の一連の行動が、対米協調路線の否定を意図したものではなかったことは、いうまでもありません


p184.小村はその「挑発」に乗るべきではないと考え、逆にアメリカ側に対し、当初、日本に寄港する予定のなかった米大西洋艦隊を横浜港に入港するよう招待したのです。そして乗組員たちの上陸を許可し、朝野挙げての大歓迎ムードを「演出」するのです。これにより、悪化していた日米関係は小康状態に向かいました。日本きっての「アメリカ通」でもあった小村ならではの、実に見事な外交手腕だったといえるでしょう


p189.司馬は昭和陸軍がつくった“精神主義一本槍”の「軍神乃木」像に対する強い嫌悪感がありました。そのため、『坂の上の雲』では児玉源太郎の有能さと比較するように、日露戦争時の旅順攻防戦における乃木の無能さが強調されています


p192.実は、乃木の生誕地である江戸の長府藩邸は、赤穂浪士十名が切腹を賜った地でした。そしてこの赤穂浪士十名は、長府毛利家の菩提寺でもある泉岳寺に埋葬されました。毎月、藩公の命日には乃木は父希次に従って泉岳寺に行き、藩公の墓に詣でた後は浪士の墓に参ったといいます


p205.真夏の炎天下、師団の工兵隊が橋を架ける訓練をしていた日のことです。気づくと乃木が一人で対岸の河原に立ち、こちらを見つめています。やがて正午になり、兵士たちが弁当を食べると、乃木も握り飯を頬張り、兵士が河原に寝転んで休息をとれば、乃木もそうしました。作業再開後、乃木は再び午前と同じく河原に立ち、夕方作業が終わるまでその場を立ち去りませんでした。最初は「監視されている」と思って緊張していた兵士たちも、乃木が自分たちとあえて困苦をともにしようとしているのだと気づき、感激しない者はいなかったといいます。この第十一師団こそ、のちに日露戦争最大の激戦となった旅順攻囲戦において、第三軍司令官乃木希典の下で勇戦敢闘する師団の一つとなるのです


p212.実際には、「いかなる大敵が来ても3年はもちこたえる」とロシア軍が豪語した旅順要塞を、第三軍は大変な砲弾不足に悩まされながら、常時5万人前後の寡兵で落としたからこそ、当時の世界は「乃木とその将兵が奇跡を起こした」と震撼したのです。そして膨大な犠牲を出しながらも、第三軍の士気が少しも衰えなかったのは、ひとえに乃木の「統率力」の賜物でありました


p234.今日、多くの日本人が誤解していることがあります。明治時代が輝かしいのは、いち早く西洋の合理主義、技術をわがものにし、日清、日露という大戦争に勝ち抜いて列強に肩を並べたからではありません。西洋文明の本流にさらされる中で、本来の「日本人のこころ」のあり方をつねに見つめ、「誠」を貫くことこそ、己の生きる道だと信じた人間が、次から次へと多数現れた時代だったからです。それこそが「日本の近代」というものの本質だったのであり、このことをしっかりと踏まえていないと、日本近代史は語れません。また、それだからこそ、この「日本の近代」として明治を、いまわれわれが顧みるべき貴重な価値があるといえるのです




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