金谷武洋「日本語に主語はいらない」講談社選書メチエ

公開日: : 最終更新日:2012/02/10 書評(書籍), 文章術/レトリック



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言語学というのだろうか。日本語の構造についてのタイトルどおりの内容の本。基本的には、素人が読んでも楽しめる。内容はシンプル。武器や表現が切れ味のよく、読んでいて心地よい。終盤で急に専門的な言葉が頻発してついていけないところも少し


「オッカムのかみそり」という表現とか、今後、自分も使ってしまうと思う。また、カナダと縁があったこととも無関係でない、フランス語やドイツ語など、英語以外の言語も使いながら、分析していくところは面白い


海外に住んでいる日本人に特有の、国際的な立ち位置からの日本に対する想い入れも感じる。村上龍のアメリカへの劣等感への批判であったり、川端康成のノーベル文学賞の話があったり、翻訳者としての伊丹十三の否定であったり


「は」と「が」の違い。「は」は文を越える。同じことを野内良三「日本語作文術」中公新書にも書いてあった。


日本語に主語がないということについて。学校で習うこと、当然のように教えられてきていることが実は危ういこともすごく感じる。その一例と思う。特に歴史は解釈により受け止め方が大きく変わってくる。同じように日本領土となった、台湾と朝鮮半島でなぜあれほどに交流が異なるのかとか。最新の研究で昔の義務教育での常識が覆されることもある。本件は、自分が母国語とするだけに、自分の使う日本語にあてはめてすんなりとするというところに説得力を強く感じる


それなら、なぜこれまでは違っていたのか、を探るのが面白い。単純に科学の限界だったのか、それとも何らかの恣意があったのか、その両方か。本件はその両方だと読める


著者が攻撃的だという批判もある。大槻文彦と森有正のことだと思う。また大野晋なども不作為の責任追及があったりする。しかし、不当とは思わない。論旨が分かりやすくてよい。三上章を褒めすぎ、ってのもあるけどな




p14.日本では明治以来綿々と、国語の時間に「文には主語と述語がある」と教え続けてきた。何故なら、それは明治期の1897年に大槻文彦という国語学者(というよりもむしろ辞書の編纂者)がそう高らかに宣言してしまったからだ。この誤謬のために、百年後の外国語としての日本語のクラスがどういう状況に陥っているかをご想像いただきたい


p24.「英語セントリック」という言葉はいうまでもなく≪Egocentric≫(自己中心的)の洒落である。言語類型論(タイポロジー)を専門とする角田太作が、英語は地球上の典型的、標準的な言葉ではなく、それどころか(助動詞≪do≫の多用など)かなり特殊な言語だから、英語を基準にしてはいけないと主張して使ったものだ


p26.「オッカムのかみそり(razor of Ockham)」。伊東俊太郎編『現代化学思想事典』(講談社現代新書)を一部引用してみる。「存在者の数を不必要に増してはいけない」(“Entia non sunt multiplicanda praeter necessitatem”)という原理をさす。オッカム(William Ockham 1300頃~1349頃)はこの原理を使って、あらゆる難問をあたかも絶大な切れ味のかみそりを使ってのごとくにさばいたことから来ている。(中略)オッカムのかみそりは、単純性の原理ともいわれる。それは不要の存在者を不換紙幣のようにむやみに濫発することなく、説明原理はできるだけ切りつめるべきである、という原理である


p28.このように、英語の人称代名詞は名詞のような自立語的性格が弱いから、例えば「美しい日本の私」という川端康成のノーベル文学賞受賞記念講演のタイトル中の「私」もそのままでは訳せなかった(サイデンステッカーによる翻訳では、つまり「美しい日本と私自身」となっていた)。大江健三郎の時のスピーチ「あいまいな日本の私」でも同じことである


p36.ここで特筆したいのは「これらのSとV、それから他動詞文でOがなければ、非文法文となる」という事実だ。つまり、名詞で新しい情報が導入された後も、英仏語などでは、いちいち旧情報を繰り返さなくてはいけない。そして、「その煩わしさを軽減する、せめてもの手段」が代名詞というわけなのである。英仏語などが代名詞を必要とする最大の理由はまさにこれである


p46.本来英語にもTuにあたる二人称単数の代名詞Thouがあった。ドイツ語のDuに当たるものだが、それを英語は捨ててしまったのである。今でも結婚式の新郎新婦の誓いの言葉で牧師が使う場面などはあるけれど


p52.日本語では、言語化される過程において「誰がどうした」という意図的な行為よりも「自然にそうなった」と表現する強い傾向がある。これと英仏語の人間臭さは実に対照的である。地名もそうだ。カナダの先住民族が「小さな魚の湖」と呼んでいた湖は今では日本人観光客であふれるロッキー山脈の「レイク・ルイーズ」である。この湖を「発見」した英国人によって改名されてしまったのだ。他にも例が多い。こうした改名は、自然中心の世界観が、その正反対の人間中心の世界観へと書き替えられたものとも言える


p85.さて、我々の関心事は村上の劣等感に同情することではなく、彼の言語表現にある。こうした精神背景を持つ作家の、米軍基地をめぐるこのカタカナ語をちりばめた小説においてさえ、その日本語は人称代名詞をとらないことを確認して私は内心ほっとした。私は、本書がこれまで主張してきた「代名詞不要論」に反例が出るような種類の小説をあえて選んで、検証のバーを高くしておいたのである。それでも楽々と検証はパスした。やはりプロの小説家と、素人の翻訳家(伊丹十三)の違いなのであろう。ペタペタ貼っていく作業をするのは彼の作品の翻訳者たちであって、原作者の村上ではなかった。村上の白人コンプレックスにはうんざりするが、それは小説家としての表現の上での英語セントリズムではなかった。村上の小説と映画のタイトル『だいじょうぶマイフレンド』の一言を我々はご本人にこそ贈りたいと思う


p86.富士谷成章はと言えば、名著『あゆひ抄』(1773)の中ですでに助詞「は」の提題性を主張しており、その先見性に驚かされる。彼は助詞(てにをは)をまとめて「あゆひ(=脚結)」と呼んだ。そして、「『は』は、題を受くべきあゆひなり」と喝破しているのだ。こうした先人の優れた業績がなぜもっと研究、評価、紹介され、日本語教育に反映されないのか、私は不思議でならない


p90.かくて「賽は投げられた」のである。ここで伊藤と大槻文彦が話題にしているのは、『言海』巻頭に約80ページにわたって載せられた「語法指南」のことだ。これは品詞論が中心だが、枠組みは明らかに西洋文法のものである。この「語法指南」に改訂を加えたものが『広日本文典』で、大槻はその文章論をウェブスター英語辞典に掲載の英文法に準拠している。そして、大槻文法は明治政府に新設された文部省が「学校文法」として採択した。大槻の有名なテーゼ「文は主語と説明語よりなる」はこうして政府公認の規範文法として、国家イデオロギーと共に定着していった


p91.ここまで言い切る国語学界の大御所の大野なら何故「日本語に主語はない」と文部科学省に断固抗議しないのだろう。なぜ今でも呑気に「ハとガの比較」三昧に手を染めているのか、私には不思議でならない。第3章で述べるように「は」と「が」を比べたがるのは偏に「主語病」のせいである


p107.「『は』と『が』の違い」を考察した本は星の数ほどもあるというのに、「『は』と『を』の違い」や「『は』と『では』の違い」などというタイトルは論文にも、本にもあまり現れない。これは、一体何故だろうか。実は、他にも色々ある格助詞の中からあえて「が」にだけ注目し、それを「は」と比較することには、言語学的に何の根拠もないのだ


p110.パリの東洋語学校で日本語を長年教えた森有正にはフランス語で書いた日本語教科書(“Lecon de japonais”, 1972)がある。文章は仏語だが、ここに書いてある内容を知ってびっくりしない日本語教師はいまい。とにかく「日本語は論理的、文法的な言葉ではない」の主張がずっと通奏低音となってこの著書全体に流れているのだ。この言語は文法的ではない、と謳う文法書も世界に珍しかろう。やはり日本語を捨ててしまおう、と言って、アメリカの大言語学者ホイットニーにたしなめられた文部大臣の子孫だけのことはある


p112.私の学生もほとんどが同じ仏語話者だが、日本語を非論理的であるなどと考えているものは1人としていない。ただ、基本文の組み立てが確かに仏語と違ってはいる。「より簡単」なのだ。つまり日本語は英仏語よりも遙かにオッカム先生好みの構造をしている。そして仏語には仏語の、日本語には日本語の論理があるのだから、非論理的だなどという誹謗中傷は止めてもらいたい。これははっきり言って冤罪である。日本語は無実だ


p117.三上の本を読んで、主語無用論と並んで目から鱗が落ちる思いがしたのは、「は」のコンマ越え、ピリオド越えである。なるほど、発想の転換とはこういうことか、と驚嘆した


p120.そう言えば義経で思い出した。三上の「ピリオド越え」は義経の「鵯越え」のパロディかもしれない。日本語分析の孤独な時間に出会う三上のこうしたユーモアは、私にとって心のオアシスだ


p120.聞き手に「さて、いいですか。それじゃこれから次の部分で重要なことを言いますよ」とサインを送るのだ


p121.挨拶の「こんにちは」「こんばんは」なども本来は主題であって、聞き手に共作を呼び掛け、その返事を待った名残であろう


p124.ケベックの仏語で「ラ、ラ」と聞こえたら、これは「よく聞け」という話者のサインなのである。英語のthereにもこの間投詞的用法(それ、ほら、さあ)があるが、la, laほど頻繁に使われるものではない。日本語の「それ、そら」や「うまし国そ」の「そ」(後に有音化して係助詞「ぞ」となる)は指示代名詞起源だろうから「ラ、ラ」と発生的にも似ている


p125.英語で文法説明する時にも同様である。仏語の「ラ、ラ」に近いものをあえて探すとすれば、直訳の「there」でなくとも「well」とか「you know」などでいいだろう。慣れてくれば「コンマ」だけとする


p134.あまり知られていない事実だが、助詞「は」の文を切り文の外に立つ機能は、日本に滞在した外国人文法研究家は気づいていた。英国の若き通訳、のち外交官アーネスト・サトウの日本語の先生でもあったアメリカ人宣教師S.R.ブラウンは滞日20年。尾上圭介(1977)によれば、その日本語文法書である『Colloquial Japanese』(1863)にこう記している。waはan isolative particleに過ぎず、wordやclauseを、それに後続するwordsからseparateする役をなすものであって、subjectとpredicateとの間にしばしば位置するとは言え、nominativeのsignではない


p135.滞日期間がブラウンの約2倍、およそ40年にも及んだ英国人B.N.チェンバレンは東大で言語学を講じた文法学者だが、著書『A Handbook of Colloquial Japanese』(1888)で、やはり助詞「は」にブラウンとまったく同じ解釈を下している。母国語の英語と同じように自由な仏語を引用しての以下の「は」の説明は実に的を射たものだ。なお、引用文でのとは英語のas for, with regard toに相当し、「~について言えば」の意味を表す。これが主語であるはずがない


p197.これらの例から英語における動詞doの機能重複はまさに驚くべきものと言わねばならないことが理解されよう。角田はこのdoの八面六臂の活躍ぶりをもって「万能助動詞は他の言語に見当たらない、珍しいものである」とも「英語はこれらの点で実に特殊な言語である。決して、人間言語の中で代表的な、標準的な言語ではない」とも述べている。言語類型論(タイポロジー)の分野の専門家で世界の130にも及ぶ言語を比較検討した上でのこの言葉には強い説得性がある


p224.「歎(なげ)き」は「長息(ながいき)」つまり長い(溜め)息が語源だった。naga-iki→nagekiである。ちなみにaとiの連続からエ音が合成されるというのはフランス語にも例が豊富で、例えば「家」のmaisonはメゾンと発音する。これも本来は表記通りに母音を続けて発音していたことの名残だ


p224.ここまで来れば、日本語には本来母音のエはなかったという事実は認めざるを得ないと思う


p225.これは偶然と言うべきだろうが、I-とE-の音韻対立は英語動詞のsit/setにも見られる。英語にも古くは母音交替による自他対立があって、それが化石的に幾つか残っていることが、他にもrise/raise、lie/layなどの例で分かる




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