竹中平蔵「経済古典は役に立つ」光文社新書

公開日: : 最終更新日:2012/06/30 書評(書籍)



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経済学の歴史を手早く追いかけられる。紹介の仕方が中庸、影響を受ける心配をしなくていい。マルクスからケインズからハイエクまで、それぞれの時代の要請や背景による説明をしていることが非常に好感。彼らの誰もが目の前の問題を解決するための処方箋を考えていたという指摘は目から鱗。現代に生きて、これらの経済学者の名前を聞くと、物理学のような真実を探求する学問のような誤解を持ってしまうことには留意をしなければならないと気づかせてくれる


それならば、誰が言ったことはともかくとして、それらのブランドの定着したツールを最大限に使って日々の事業を進めていければいいのだろうな。三段論法とかは局所的な問題への解決を説得的に行うには非常に便利なんだよな。「長期的には皆死ぬ」も、かっこつけるのでも無責任なのでもなく、ぐだぐだと将来のことを思って逡巡せず、目の前のことに意識を向けるべき、という主張にこそ使うんだな


政府の役割も、不景気のときの浪費の役割のほかには大きくしてはいけない。市場は失敗する。しかし政府はもっと失敗する。市場は失敗する。しかし政府が失敗したときの凄惨な出来事を思い起こしてほしい、と


著者も、一時期政治に関与し、この本でも一部、過去の経験が述べられている。しかし、自分の考え方に対する信奉が見えるものの、それが自民党だからとか民主党だから、という党派的なことは一切言及されていないのが清々しい




p7.重要なことは、アダム・スミスやケインズ、あるいはシュムペーターなどの偉大な先達が、それぞれ目の前にある問題を解決しようとしたことである。つまり、彼らの経済思想が先にあり、それを使って問題を解決しようとしたのではなく、彼らが提示した問題解決のスキルが蓄積されて、結果として思想になったということである


p22.スミスが『国富論』を刊行したのは1776年の3月、そして同じ年の7月にアメリカの独立宣言が行われている。植民地アメリカが独立宣言をした年に、本国イギリスのグラスゴー大学でアダム・スミスの『国富論』が書かれたのである


p23.「それ以前は経済的自由がなかった」。近代以前の封建制のもとでは、経済的自由は存在せず、レイバー・マーケット(労働市場)は存在しなかった


p40.彼が41歳のときに転機が訪れる。ある貴族の子弟の家庭教師をするために、大学教授の職を辞したのである。当時の貴族の子弟は、若い頃にヨーロッパ大陸に留学する習慣があった。留学といっても現在とはまったく違い、学問を学ぶというよりは、フランスやスイスなどを旅行しながら見聞を広め人脈を形成することが主たる目的だったようだ。留学する若い貴族に随行して家庭教師をすることが、アダム・スミスの役目だった。アダム・スミスはグラスゴー大学を辞めて、彼らといっしょにフランスやスイスを旅することになった。実は、当初3年間の予定だったが、同行した貴族の弟が死去するという不幸があって、旅行は2年間で突然の終わりをつげている。しかし、その間に彼はヴォルテールやデイヴィッド・ヒューム、フランソワ・ケネーなどいろいろな人と出会っている。そして、彼らとの議論が、その後の書物(『国富論』)にも反映されていると言われている


p41.あるとき彼は、部屋着だけで庭にいたときに急に空想にとりつかれて、気がついたときには15マイル先にいたという。メートルに換算すれば24キロであり、時間にすれば5時間。その間彼は空想にふけって歩いていたことになる


p61.実はアダム・スミスは、一度ベンジャミン・フランクリンに会っている。その時にフランクリンがアメリカ植民地の現状と、アメリカが強大な国家を形成する可能性について伝えたことが、アメリカの独立擁護というアダム・スミスの決断にポジティブな影響を与えたのではないかと考えられている


p75.「弁証法的」とは、ヘーゲルの「歴史は弁証法的に発展する」という言葉で示されるように、テーゼとアンチテーゼのダイナミックな相互作用の中で、歴史は一つの必然として動いていくという考え方である。歴史は直線的に発展するのではない。何か一つの支配的なテーゼができると、それに対するアンチテーゼが生まれ、双方が争い合って総合的なテーゼ(ジンテーゼ)になる。しかし、それが支配的になると再びアンチテーゼが現れることになる。そういう弁証法的な発展が歴史の避けられない道なのであって、その基礎にあるのが経済=物質的なものであるという考え方が「弁証法的唯物論」である


p83.現実には、マルサスやリカード、あるいはマルクスが想定したように、子どもの数を増やしていくのではなく、豊かになればなるほど子どもの数を減らしていったのである。これは、まさにいま日本で起こっていることであり、国民の所得が増えるとともに子どもの数は減少したのである。都道府県別に見ても、全国平均で見て所得がいちばん低い沖縄県で最も出生率が高く、所得が最も高い東京都で出生率が低い。つまり、豊かになればなるほど子どもの数を制限し、そうすることによって自分の生活のクオリティを高めることを人びとは学んだということになる。また、この間、都市化が進んだことも重要な要因としてあげられる。農村においては、子どもは重要な労働力であり、子どもをある程度増やすインセンティブが働く。しかし、都市化の時代には、子どもは労働力にはなりえない。むしろ、教育費やその他のコストで、子どもはおカネがかかる存在になったのである


p90.ローレンス・サマーズによれば、今の経済学者はみなモデレート・ケインジアンだという。では、モデレート・ケインジアンとは何か。アダム・スミスの言うように、市場の活力を活用するということは、経済学者としての常識である。しかし、市場は失敗することがある。そういうときには、政府の介入はやはり思い切ってなされなければならない。その意味では、ケインズの主張は正しいし、まさに目の前の現実的問題を解決しなければならない。つまり、アダム・スミス的な考えをベースにしながら、必要なものについては政府が介入していくという考え方、それが「モデレート・ケインジアン」ということの意味である


p91.当時のケインズの解釈と判断は、まったく正しい。ただ、完全雇用が達成され、経済が順調にいっているときに、小さな政府と大きな政府のどちらがいいかと聞かれたら、私は小さな政府のほうがいいと答える。理由は簡単で、「政府のほうが非効率になる場合が多い」と考えるからである。私は政府の中にいたので、そのことを実感する。たとえば政府が大きくなると、日本の旧社会保険庁のような非効率な組織がたくさんできてくるのだ


p99.文官試験で1位の人は財務省に入り、2位だったケインズは1906年にインド省に入省する。ロンドンの官庁街にある外務省の建物は、かつては「Ministry of Colony」(植民地省)と書かれており、インド省はその一角にあった


p100.「ハーベイロードの前提」という言葉は、エリートへの過信であり、アロガント(横柄)な前提だという批判としても使われる。いわゆる知識人は本当に優れた判断ができるのだろうか。ケインズが当時の経済状況を見て、「大きな政府」を主張したことは、経済学的には正しいことだったが、その背後には、エリートに対する絶大な信頼があったということも忘れてはならない


p102.「長期的にはみな死ぬ」というシニカルな表現が、ケインズらしさを物語るが、「やがて」とか「長期的に」という議論には意味はないと、ケインズは言っているのだ。いま目の前にある問題を解決すべきだというのが、リアリストとしてのケインズの主張である


p125.これまで紹介したすべての経済学者がイギリスを舞台にして活躍した。アダム・スミス、マルサス、リカード、ケインズはイギリス人であり、マルクスはユダヤ系ドイツ人だったが、1849年以降はロンドンに住んで『資本論』を執筆している。当時のイギリスは、世界に先駆けて産業革命を経験して世界の経済大国として君臨していた。そして、社会科学におけるイギリスの知的集約度は、まさにずば抜けていたということである。しかし、第一次世界大戦を境に、経済の実力は次第にアメリカに移っていく


p140.シュムペーターは、世界でもちろん高く評価されているが、とりわけ日本での評価が高い。その大きな理由は、中山と東畑が難解なシュムペーターの著書を翻訳したことによる。ちなみに、中山と東畑がともに三重県出身であることから、『資本主義・社会主義・民主主義』のシュムペーターによる手書き原稿は、現在、三重県立図書館に保存されている


p144.シュムペーターは数学が苦手だったとされている。したがって彼の著書には数学はほとんど登場しない。MIT教授で1970年に第2回ノーベル経済学賞を受賞したサミュエルソンは、ハーバード大学でシュムペーターの教え子だった。そして、弟子のサミュエルソンにシュムペーターが数学を教えてもらったというエピソードが伝えられている。彼は数学が苦手だったが、だからこそ数学的な手法に対する憧れを持っていた。そして、1930年に計量経済学会に創立メンバーとして参加している


p146.シュムペーターは次のように考える。不況になると倒産が増えるが、それは非効率が排除されるプロセスである。不況があるからこそ世の中から非効率なものが排除されていく。つまり、不況を通じて効率的なものだけが残っていく。したがって、資本主義は強くなっていく。じつは、これはある一面において正しい。たとえば、いま日本では、不況で倒産しそうになると政府が企業をサポートする場合が少なくない。その結果、その企業はまさにゾンビのようになって生き残る。それが日本経済を弱くしていることは容易に想像できるだろう


p158.現実には、アメリカやイギリスなど戦勝国の首脳がアメリカのブレトン・ウッズなどに集まって協議し、IMFや世界銀行の設立が決まったのだが、背後で活躍し当時の政府首脳に知恵をつけたのは、ウォールストリートのフィナンシェたちだった。リスクの最後の引き受け手である彼らは、戦争によって失うものがあまりにも大きいからである。そういう意味で、銀行家こそが最高の戦略家としての役割を果たしたのである。じつは、日本にも同じような例があったことを、元プリンストン大学教授で現在はライシャワーセンター所長のケント・E・カルダーが、『戦略的資本主義』(日本経済新聞社、1994年)のなかで指摘している。すなわり、日本の高度成長期の戦略本部は、旧通産省や旧大蔵省あるいは日本銀行ではなく、大手町(銀行)にあったというのである。1950(昭和25)年に、川崎製鉄は千葉に日本初の銑鋼一貫製鉄所を建設することを計画した。しかし当初、通産省(現・経済産業省)は川鉄の一貫製鉄工場建設に反対した。なぜなら、一気に供給が増え、需給バランスが崩れることが憂慮されたからである。日銀も、当時の外貨不足を理由に、大きな設備投資はさらなる外貨不足を招くと考えて反対した。そのときに賛成に回ったのは、大手町にあった日本興業銀行(現・みずほフィナンシャルグループ)の常務取締役・中山素平らを中心とする銀行家たちだった。彼らは、一貫製鉄所がなければ日本経済の発展はないとして、川崎製鉄への融資に踏み切った。1953(昭和28)年には工場が完成し、これが一つの契機になって製鉄業が急速に伸び、日本経済は高度成長に突入することになったのである。さらに、その中山素平が絶賛した銀行家がいた。三井の大番頭と言われ、後に日本銀行総裁になった池田成彬である。慶應義塾で福沢諭吉門下生だった池田は、慶應義塾の学生が福沢を神のように崇めるのはおかしいという批判精神の持ち主だった。慶應義塾からの推薦でハーバード大学に留学し、帰国後は福沢が主宰していた時事新報に入社するが、わずか2週間で辞めて、三井銀行に入行する。時は1927年、台湾を中心に広く事業を展開していた鈴木商店は、台湾銀行からの融資打ち切りが契機となって破綻した。それが発端となって、日本経済は昭和金融恐慌に突入していくのだが、そのときに台湾銀行や鈴木商店から強引に資金を引き揚げ、必要な調整プロセスに日本を導いたのは池田だった。また、池田は戦争に反対して東条英機と対峙する。ハーバード大学に留学した経験から、日本がアメリカと戦争すべきでないことがわかっていたからである。東条は池田に対して、自らの軍門に降ることを条件に長男の兵役免除を提案する。それに対して池田は「ノー」と突きはなし、兵役に就いた長男は戦死する。池田はまさに日本にとって何が必要かを考え実行した、最高の戦略家だった。時代に迎合せず、一貫して筋を貫いた池田の生涯は、江上剛の小説『我、弁明せず。』(PHP研究所、2008年)に詳しい。シュムペーターが指摘したような銀行家(金融家)は、かつて日本に実在した。しかし残念ながら、不良債権処理などを見るかぎり、今の日本の銀行には、本当の意味での最高の戦略家はいなくなったのではないかと懸念される。金融家がいないところでは、イノベーションや新結合も生まれない。その意味で、シュムペーターは深い洞察と示唆を私たちに与えている


p177.じつは、ハイエクは、1944年に出版した『隷属への道』を契機に、通常の経済学の議論を超えたより深い物事の考え方、経済現象を超えた個人主義や市場、あるいは社会哲学の分野へと関心を広げ洞察を深めていったのである。ハイエクは、人間は決して合理的ではなく、非合理的な面を数多く持っていると考える。そして情報はつねに不完全であり、そういうなかでいろいろな意思決定がなされ、社会というシステムが機能していくと考える。「理性の限界を知れ、人間の限界を知れ」というメッセージを発するハイエクの懐疑主義は、いわば彼が育った時代の産物だった


p181.ハイエクはこのような集散主義の現実を見ながら、政府を強く大きくしていくことがいかに大きな危険を孕んでいるかを論理的に説き、そのための問題解決としての自由主義を唱えたのである


p184.市場は失敗することがありうるが、政府も失敗する。市場の失敗は、たかだか不景気やインフレをもたらすだけだが、政府の失敗(すなわち社会主義や全体主義)ははるかに大きな犠牲を強いることになる


p194.ハイエクはオーストリア学派の伝統である「懐疑主義」の立場をとっていた。つまり、人間の合理性をどこまで信じるかということに関しては、ハイエクは極めて懐疑的だった。人間には完全なものなどない、だからこそ市場が重要だという立場だった。それに対してフリードマンは、人間は合理的に行動し、マーケットは合理的に将来を見通すことができると考えたのである。その点で、ハイエクとフリードマンは決定的に違う立場だったことを、まずは指摘しておきたい。ただし、重要なことは、「自由主義は自由放任によって実現されるのではない」という意見をフリードマンが持っていたことである。自由主義と自由放任とは違う。積極的に自由を実現するための政策が必要なのである。その具体的な政策に取り組んで大きな影響力を発揮した経済学者こそ、ミルトン・フリードマンだった


p197.印象的なのは、ケインズのようにエリート中のエリートが「政府に頼れ」と主張したのに対し、貧しい移民の子であるフリードマンが「政府に頼るな」と述べたことである。ケインズはつねに権力者の近いところにいて、政府に対して良心的に接していたのに対して、フリードマンは移民の子として遠くから政府を見、政府に対する漠然とした違和感や胡散臭さを感じていたのかもしれない


p209.「負の所得税」は、いくつかの国ですでに実験が始まっている。日本でも早晩、この議論が出てくるだろう。自民党政権の末期にはすでに議論され、民主党政権でも議論されているようだからである




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